宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-113    9.11同時テロ事件のつづき


 皇族の中にHの宮(シュレイダーの息子で佐藤栄作の身内?)という人がいて、この一家がすりかわっている可能性がある。Hの宮の息子や妻などが皇室の外へ出、代わりに北のスパイが皇族として入り込んだかも知れない。
 俳優のMという人物やシンガーソングライターMなどが息子らしい。
 I知事は、皇族の事件に関して裏で糸を引いている可能性があり、皇族の情報に詳しく、さらに、事件の実行犯を皇族本人にさせているために、それがI知事の強みとなっている。
 
 演歌歌手Mは金一族で演歌歌手Yと兄弟である。演歌歌手Mの曲作りに参加していたIというコピーライターは北のスパイの親戚である。
 A首相は人々が労働し金をもらうことを邪魔しているのではないかと思われることがたくさんある。
 自分が天皇家出身なので、働く人に天皇家が負けてしまうのではないかと危惧がある。
 だから、どこかで殺人事件を起こした自分の息のかかった者を、どこかの会社が働かせ、“未解決事件”パワーで周りの人を邪魔しようとする。
 それで周りの人がその仕事を辞めてしまえばいい、と思っている。
 一国の首相がそういう思想で首相職に就いていることには驚くが、真実である。
 彼は国外への亡命者で、日本の人々と敵対していることは、いいかげん、国民がわかりそうなものである。
 亡命というのは、自分の権利を守るために、亡命先とグルになり、もといた自分の国を破滅させるように言われ、実際にその活動をする。そうしないと亡命国の利益がないので、亡命を受け入れた意味自体がなくなるということだ。亡命した者は、何でこんなに歓迎してくれたり、いい思いをさせてくれるのかというと、祖国を犠牲にすることを亡命した時点から決められているからである。
 しかも、亡命者をいつまでも首相にするということは、首相職についた者が祖国に何をするかわかったものではない、という自覚が必要なのだ。
 自民党を支持する者というのは、そういうことがわかっているのかどうか疑問だか、都合の悪いことは信じない、といういつものクセを利用し、そう言っている者がウソつきだ、とまた妨害をはじめる。
 しかも、A首相は天皇家でもある。
 天皇家は、1970年によど号事件で北朝鮮に亡命した、といわれている。そし、今度はアルジェリアである。
 天皇自民党を支持する者は、日本国内でどのぐらいいるのかは定かではないが、もはや日本に主権があるのだろうか。
 やろうと思えばできることを、今やりたくない、と言っていて、誰かが助けてくれるのだろうか。
 警察の言う通り、関係ない人を疑い続けていればそのうちそれが効果を発揮する、というが、それで何かよくなるのだろうか。
 警察権力は有無を言わせず、人々を思い通りにしようとするが、現実から目をそらしすぎである。
 東京都のI知事も同様で亡命者である。
 だから、日本人の金を稼ぐ行為を妨害するのはいうまでもない。
国力を低下させることが狙いとするなら、もうとっくにそれは成し遂げられている。しかし、国民の自覚がないばっかりに、選挙でまた選ばれてしまうのだ。
 多くの日本人たちは、自分の生活に思うことがないのだろうか。
 例えば、10年前に比べて預貯金の額や財産はどのように変わったのだろう。それは日本国も同じである。しかし、軍力がないことから、それをあからさまに言うわけにはいかず、いいよいいよとお人好しのフリを外国にしなければならず、おもしろいはずもない。しかし、それすら自覚をしないで、
また同じ政治家を選ぶのは、去勢されている証拠である。
 男はえばる必要がどこにあるのだろうか。選挙も男のいいなりであることも最近わかってきている。その政治家に投票しなければ、喧嘩になったり、別れると言い出されるのがいやな女は、間違いなく男のいいなりの選挙をしている
 官庁は与党に投票することが決まっているといわれる。
 これだけ世の中がすさんでいるのに、新しい主張を持った政治家が当選してこないのはどう考えてもおかしい。官庁が与党に投票を決めれば、関連企業は与党に投票することがわかる。もしも、官庁が与党へ投票することを規則からはずせば、他の選挙民たちももっと自由になるはずだ。
 
 官僚にしてみれば、他党に投票し、もし自民党が勝てば他党に投票した者が左遷されることを恐れている。それはつまり、官僚が民主がいいや、と思わなければ、政権交代はないと同じなのではないだろか。
結局、与党を決めているのは官僚であることがわかる。
 官僚が政党を決めれば追随する企業が多く、企業は社員に何党に投票しろよ、と暗黙の了解があるに違いない。
 官僚自体の損得勘定で選挙が行われていることから、日本の世の中は、言いかえれば、官僚の地位や財産を守るためにあるのではないだろうか。もっと言うと、官僚のために国民は生きていることになりかねない。