宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-153    9.11同時テロ事件のつづき 昭和天皇と警察 宮中某重大事件

 暴力団や警察の意向が強いと思われるが、日本人は、昭和天皇が大嫌いであった。天皇にしてみれば、戦争の責任を押し着せられたが、首相以下、A級戦犯は処刑をまぬがれ、他人の名前をかたり生き延びた。しかし、天皇は違った。何をするにも監視されていて、籠の鳥も同じで、悪いことを考えようものなら、すぐにたしなめられたので、真面目に生きるしか道がなかった。しかし、ほとんどの日本人は、そういう理由があるのを知らず、真面目に悪いことをしないように生きている昭和天皇が、不真面目に生きている国民が多かったことから、国民の敵にまわってしまった。
 他の国はわからないが、日本人の犯罪率は、国民1人あたり100%に近く、何も犯罪をしない人の方が少ない。
 そこで国民は、大嫌いな昭和天皇の子供を全員、皇居から追い出し、苦労をさせ、自分達がコキを使うことを望んだ。
 昭和天皇の子供たちは、ほとんどが外に出て、普通に働いているという。
しかも一般人として社会にいるのに、何でもおしつけられることが多く、普通の国民より苦労が多い。
 そういう生き方を国民から強制されているも同然である。
 
 9.11のテロにしても、オウム事件にしても、外国や警察が犯人だと決めつけていた人々こそ、昭和天皇ゆかりの人達である。
 今上天皇は、昭和天皇がすべての責任をなすりつけられ、窮屈な生き方をしていたことを知っていて、自分の犯罪を昭和天皇の子供達や孫に押し着せることを企んだ。そして、それに同意をしているのが国民であり、行政であり、警察である。
 日本の国民はとんでもない人種である。噂が先に立ち、事実はどうでもいいというのも、日本人の歪んだ性質上の悪いクセである。どうしてもやり込めない相手がいた場合、組織を作り集団でストーカーするのも日本人がよく使う手段である。
 
 このことから、第二次大戦の命令者に見えるのは、当時の皇太子や兄弟のような松岡洋右(A首相)であるが(悪だくみ兄弟コンビ→天皇松岡洋右。今の天皇松岡洋右常陸の宮は、若い頃3人とも顔がそっくりで昭和天皇の息子である。しかし、松岡洋右でA首相は香淳皇后の子ではなく、A家の女性の息子だったか、皇族として生まれながら台湾人かインド人か今の育ての父親の手によってすりかえられた)、彼らは無罪になるか、逃がされたかした。それを押しつけられたのが昭和天皇だが、今の時代になっても似たようなことになっているようだ。
 

 Hの宮は、昭和天皇の息子か孫である可能性もあるが、A元首相がお世話役をしていて、どちらが父親かわからないところがある。もし、昭和天皇の子だとすると、A元首相がお世話をしているために、A元首相の犯罪や功罪を押し着せられていることが考えられる。
 昭和天皇を嫌っていたのは暴力団やテロリストたちだが、A元首相の秘書にテロリストがいて、A元首相は、昭和天皇を嫌っていた一味のグループに入る。A元首相の秘書は、昭和天皇を殺害したと噂されている人物で、もし、それが本当なら、A元首相は危ない勢力である。 
 その際、いじわる兄弟コンビも昭和天皇を嫌っていた一味であるので、
自民党の政治家にそれが蔓延していることも考えられ、昭和天皇が嫌いだった、今の天皇やA首相やA元首相らは仲間である。
 A元首相は、今の天皇がA元首相の母親を殺せと命令し殺害されて、天皇のいいなりか、母親が台湾人である。
 A元首相は、母親がわからず天皇に殺害するよう命令されたと思い込み、昭和天皇を殺害している可能性もある。A元首相と天皇家の確執があるという話もある。
 
 宮内庁で起きた宮中重大事件というものがあり、山口県出身の軍閥山縣有朋という政治家が、昭和天皇の妃を決める際、色盲だからやめた方がいい、と西園寺という政治家に相談を受けたが、昭和天皇が成婚を決めたため、山縣有朋という人物は左遷され、その後しばらくして死亡した。山縣の国葬に出席したのは陸軍や警察官だった。
 この事件のことで、山縣は昭和天皇に恨みを抱いた可能性もあり、警察官とともに、昭和天皇への復讐を企んだと思われる。皇族の一人がすりかえられた文京区の本富士警察署の近くには、山縣が所有する椿山荘があり、今の文京区役所にも、椿山荘の直営レストランが入っている。
 山縣有朋は、山口県出身の吉田松蔭の松下山塾に短期間入塾していた。
 警察署で二人の子供をすりかえたのは、A首相である。
 
 山縣有朋は、軍閥であり、警察の制度に影響を与えた人物であるということだ。官報の発行なども山縣有朋の議案であるという。
 今の日本の問題点の源を作った人物であるといえる。