Hの宮はH総務相の息子だといわれている。
1970年に起きたよど号事件は、Aの宮のために、兄のHの宮を天皇家から追い出そうとして企てられた事件であるという。しかし、Hの宮は、一歩も天皇家を動かず、その計画は失敗に終わっていたという説もある。
兄を抜いて、弟のAの宮が天皇に即位するために、よど号事件の後も、テロが計画され、Aの宮の地盤がテロによって固められたかに見えた。
Hの宮が生まれたのは1960年。
Aの宮が生まれたのは1965年。
赤軍派は、Hの宮が生まれた1960年頃に登場している。
1980年~2001年までのタリバンのテロは、実はAの宮の父親か叔父のA首相が、自分の子孫のAの宮が天皇に即位するために、計画されたもののようにも見える。
1995年頃オウムがテレビやマスコミに登場した。
オウム真理教は、もともとH総務相の子飼いのような団体で、麻原が中学生の時から、自分の依頼を聞き入れていた麻原に金を渡していたのが、自民党と関わりを持つゆえんである。
当時、麻原は文京区の第二中学校という公立の中学生で、同級生にオウム信者がいる。
麻原が在学中に、問題の多い学校として悪評が立ったらしいが、地元のH総務相の力で、地元の警察を抱き込み、ないものにしていた。
H総務相(父親は人事院総裁のT氏・鳩山威一郎氏)が麻原らに何を頼んだかは定かではないが、生徒の間では学校の姿勢に不満を持つ者が多かったという(浩の宮の命令が影響していた可能性がある)。
第二中学は、2002年、同じ地元の小学校と共に違う名前に変わっている。
その後も、H総務相から金をもらう浩の宮を支援する意味合いのある団体となった。
1995年に、オウム真理教がテレビやマスコミに登場するようになった頃、
H総務相は地元で猛威を振るう。
浩の宮の犠牲になる人が欲しいといって、近所に住む人と共犯し、殺人事件も起こしている。親を殺したはずの娘がはばをきかしている、といっては、関係のある地元のパチンコ店に手荒いことを頼んだり、働く会社を妨害したりしていた。
例え職場が遠かろうが近かろうが、地元から引っ越そうが、浩の宮のための犠牲者への妨害は続いた。
犠牲というより、殺害を目的とした様相もあるが、監禁状態や飼い殺しと同じである。
H総務相は女性が大嫌いであると思われるところがあるが、Hの宮にもそれは言えるようである。
Hの宮の教育係は、女性はゴミである、と皇居内で教えており、それを真に受けたHの宮が天皇に即位した後、女性に対しどのような扱いをするかが問題である。
1980年の終わりから1990年代のはじめにかけて、アパートの一室で妊婦殺人事件が起きた。その殺し方は、妊婦の子宮の中はどうなっているのか興味本位で、殺害された妊婦の腹の中に受話器を入れているという姿だった。
この事件に、H総務相が関係しているらしい。
H総務相が息子であるといっているHの宮がどれだけ女性に恨みを持っているかは、妻の顔を見ればわかるというものである。
妻と子の顔は、まるで悪魔そのもので、度々ニュースやテレビに登場しても、そういうことに気づきもしない、気を払いもしない無頓着さもどうかしている。
H総務相の発言にある、ペンタゴンから奢られている、アルカイダの友人とは、A首相でラムズフェルドのことであり、Aの宮のためにA首相がしていたよど号事件やタリバンのテロのことを脅しているためである。しかし、
それを見て見ぬフリをし、自分の利益にしようとしている態度が表われている。
A首相とH総務相とは親しいらしい。
父親が同一人物か目的を同じくする者同士ということも考えられる。
Aの宮はA首相の身内かどうかだが、1990年頃、Aの宮は大学の同級生たちとSの会というグループを作っている。A首相の身内だとしても、どこの政治家の身内だとしても、Sの会の意味が不明だ。
普通の考えると、Sという人物が父親であると考えると、周りの人が誰一人わからないが、本人や仲の良い者だけが知っている、ということで話が見える。
その人物は、A首相の身内ではないが、タレントなので、ある程度、わかりにくくなっていると思われる。
H総務相とHの宮が親子かどうかは定かではないが、妻の顔の様子からいえば、A元首相(スーダン人?)の方がしっくりくるともいえる。あるいは、Hの宮の妻とA元首相の妻二人ともが麻薬の密売人で同一人物の父親であることが考えられる。
A元首相はスーダン人で、オサマビン・ラディン師がサウジアラビアから亡命したのがスーダンである。
そのため、スーダンと関係が深いと思われる。