渡辺芳則の北海道の家に、村下氏によく似た太った男が同居していた。
村下氏のつき人をしていたか、本人であった可能性もある。
もし、この男が渡辺芳則の実の息子だとすると、村下氏も渡辺芳則の息子である可能性がある。
しかし、体格が違うので実の親子ではないかも知れない。
1984年に起きたグリコ・森永事件では、渡辺芳則の口座に脅迫金が振り込まれていて、誘拐した会社社長の見張り番が村下氏であったといわれている。
もし、息子であれば、渡辺芳則の息子だったので、と説明がつく。
明仁一族の殺害事件も渡辺が深く関与していて、その動機は1966~69年の間にすりかえられたHの宮のためである。
Hの宮の実の父親が村下氏で田宮高麿だとしたら、よど号事件を首謀した理由もわかる。
つまり、自分の息子を天皇にしたかったのだろう。
渡辺芳則は、村下氏の父親だったので、自分の家系の孫のために、明仁一族を殺し、Hの宮を疑う人をなくし新しい天皇家をつくりたい、ためだったという説明もつく。もしバレたら明仁や皇后がまず初めに騒ぐに違いないからだ。
村下氏は、H総務相と同一人物でもあると思われる。
村下氏は、オーストラリアと関係があり、イギリス人でもある、といわれていた。
H総務相の妻は、ハーフであるとかクォーターであるとかいわれている。
父親がオーストラリア人で、祖父がイギリス人であるという。
村下氏がイギリス人であるということはよくいわれていて、それは妻がそうだったからである。
もし、村下氏がH総務相であるなら、村下氏は、渡辺芳則とH威一郎の妻との間に出来た子であるはずである。
もし、母親がH家の妻でない場合には、子供時代にすりかえたという可能性が出てくる。
H党首とH前総務相が似ていない、という疑惑は案外あたっているかも知れない。
もし、H党首とH前総務相が実の兄弟でないとすれば、子供時代に殺害したか、すりかわったかのどちらかである可能性もある。
H前総務相は、1989年頃、文京区の事務所に右翼が突っ込む事件があった。それ以降、人が変わったようになったという話もある。
右翼事件の時に死亡したのだろうか。
1989年といえば。昭和天皇が崩御し、明仁が天皇に即位した年である。
H家の妻は、学校も経営しているが、大手タイヤ会社と関係があるといわれている。
H前総務相の妻の姉はその大手タイヤ会社の役員か社長と結婚したという。
これは、H兄弟の母がタイヤ会社の親族とは違うことになる。
H家の妻がタイヤ会社の親族なのではなく、H前総務相の妻の姉がタイヤ会社の社長などと結婚しているので、それで親戚であるといっている。
この場合には、兄のH党首はタイヤ会社の孫ではなく、兄の義理の姉がタイヤ会社の妻である関係である。
H兄弟(もしくはH兄)の母は、H前総務相の姉に殺害されているのだろうか。
H事務所への右翼事件の後、H家で母が死亡した。しかし、兄はそれを隠したといわれる。
息子が右翼のトラックにより死亡した後すぐに母親もH家で死亡したことになる。
H事務所は2階にあり、普通のトラックでは2階まで届かない。何かを積載していたとしか思えない。大型トラックから爆弾物でも投げたことも考えられる。
大型トラックといえば、渡辺芳則の娘で今のH前総務相をしている村下氏のきょうだいの演歌歌手のY代A紀が免許を持っていると思われる。トラック野郎にファンが多いのはそのためだろう。
他に右翼団体といえば、威一郎氏の母方の祖父が右翼団体のT社であった。
敵対する右翼団体か、T社の誰かの手によるものという見方もできる。
山口組系にも右翼団体がある。
山口組にG藤T政という暴力団幹部がいる。
G組の暴力団は、敵対する団体にダイナマイトを持参しダンプで突っ込む方法があり、文京区のH事務所に突っ込んだ右翼は、G籐かも知れない。
G籐はその時、本物のH山K夫議員を殺害していたかも知れない。それは何故かというと、昭和天皇が崩御し、新天皇が即位した後に、天皇と一緒に大阪に行き、天皇が殺害される場面を目撃したからである。
そのことをしゃべられるとまずい、と思い、殺害したのではないかと思われる。
もし、そうでないとしても、似たようないきさつがかあったことが考えられる。
G籐は、M元首相かM元首相の秘書である。
H前総務相は村下氏であると思われる。
何故、村下氏がなりすますかというと、事務所を襲撃した右翼の犯人の中に村下氏がいたからである。