宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-270    9.11同時テロ事件のつづき 吉宗の時代にもアメリカにテロ?

 これは、近衛文麿徳川吉宗の子孫かも知れないことを示すものである。
 その上、馬に関係がある。吉宗といえば、別名暴れん坊将軍ともいわれる。吉宗が白馬に乗った姿が思い浮かぶが、家康が馬に乗っている姿は連想できるだろうか。
 徳川吉宗は、紀州藩主で、紀州といえば、今の和歌山県である。
 K政権で金融相だったT中氏は、和歌山県の出身だし、Aの宮の妻も和歌山県出身である。
 K元首相の戦略において、要を握っているのは和歌山県出身者のようでもある。
 
 このようなことから、近衛文麿徳川吉宗の子孫であることがわかり、
江戸幕府が崩壊したのは、天皇家のためで、吉宗が自分から何かをしでかしたためであることが考えられる。
 
 吉宗は近衛と同様、ロシアとつながりがあり、ロシアの意向で徳川幕府を崩壊させていたかも知れない。

 近衛文麿が真の戦犯かも知れない第二次大戦は、パールハーバーを奇襲して日米開戦となった。
 顔や体格その他性格など近衛文麿とうりふたつなK元首相は、9.11のテロでアメリカに旅客機を使ったテロを起こした。

 徳川吉宗の時代には、|かの誕生日に、▲▲瓮螢に6?瑤屬發里鮖箸辰謄謄蹐覆匹魑こした可能性がある。
 そのため、黒船が来航し、外国との通商条約が締結され、家康の鎖国が解かれ、徳川幕府が崩壊し、天皇中心の明治維新がやって来た。
 
 例えば、吉宗は忍者を作ったことで有名だが、忍者の使う手裏剣に火をつけ、竹と和紙で出来た一般の家を火災にし、江戸の大火を起こした、その方法と同じく、アメリカの船などに手裏剣を用いて火事を起こした、などが考えられる。
 吉宗の時代に、あまりの火事の多さに火消し制度が設けられたが、吉宗の自作・自演だったことはないだろうか。
 暴れん坊将軍というからには、暴れ回れるだけの何かがあるはずで、その時代に起きた事件などを吉宗が計画実行していたことも考えられる。
 例えば、火事は横浜でも起きていて、外国人居留地なども火災に見まわれたことがある。関内の大火と呼ばれるもの(11月26日・豚屋の火事ともいわれる)で、一軒の家の火から何十の町に火が燃え広がり焼け跡となった話は江戸時代に詳しい人ならよく知られている。  

 K元首相は、政権が大変な時に、わざと下の地位にある人にウソの火事の通報をさせるか、火事を自作しているという証言も出ている。
 特に団地住まいの人は、K元首相の危機が迫っている時に、消防車が団地を埋め尽くす有り様を知っている。
 この手法は、言葉でいうと、「自分の危機が迫ると火事を起こして難を逃れる」ことであり、K元首相の頭の中にインプットされている災難逃れの方法であることがうかがえる。

 徳川吉宗は、自分の状況が危うくなった時に備えて、敵対する勢力をリスト化していた可能性もある。そして、そういう時に、江戸などの敵対する家に向かい、火のついた手裏剣を投げ火事にし、その家もろとも灰にしていたのだ。その火事は、例えば、港区大門で起きた火事が銀座にまで燃え移るなど、大火事に発展している。
 その火事の騒ぎで吉宗の政治の悪さは消えてしまっていたと考えられる。
 吉宗の時代は、大飢饉で米が不足した、大きな地震津波があった、などが伝えられていて、そういう時代に吉宗はよくやっていた、などという評価もあるが、自分の撒いた悪事のおかげでとうとう自分が将軍になれた、というべきが本当のところではないだろうか。

 吉宗の時代には、家康の子孫がいなくなり、養子の子の御三家が徳川家を継いだ。