宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 34-8    日航ジャンボ機墜落事故のつづき

 インドの航空機墜落事故

 日航機墜落事故の2ヶ月前に、インドの旅客機がアイルランド沖で墜落する事故があった。この旅客機は、カナダ-インドの国際線である。
 この時の犯人は、ヒンドゥー教と対立するシーク教徒で、インドでは内戦が起きており、シーク教徒が首相を暗殺する事件も起きていた。
 インドの航空墜落事故の犯人は、シーク教徒であると言われていたが、このシーク教徒は、アルカイダ系のイスラム原理主義者たちで、世界各地で内戦やテロ活動を行なっている。
 捜査をしていたカナダは、この犯人たちを結局無罪にしているが、インドの航空の墜落を捜査していた当時、犯人がインドの旅客機の墜落事故のことがバレると困ると思い、日本でも123便を墜落させたのだ。犯人は、赤軍派アルカイダということになる。
 彼には変装が得意なので、裁判や捜査の時には仲間が主犯格の犯人に変装し、真実をわからなくさせたのだろう。

 123便の墜落現場に防衛庁の影

 123便の墜落現場の御巣鷹山には、旅客機の破片と共に、オレンジ色の破片が見つかっていたという。
 一説によれば、このオレンジ色の破片は、オレンジ・エアーという防衛庁の高速標的機で、何故、この現場にこんなものがあったのかという疑惑があったという。
 当時の防衛庁長官は、加藤紘一だが、この人物は、機長の妓郷蟻析困汎碓貎擁であり、赤軍派のメンバー(魚住公博、黒田佐喜子とも同一人物)である。
 123便赤軍派のテロなら、政治的な観点からもテロを起こしたということが考えられる。
 オレンジエアーは、操縦士が墜落直前に目撃していた説も浮上しており、この標的機が尾翼に衝突し、墜落したのではないかといわれているようだ。
 赤軍派が内部から垂直尾翼のある旅客機の後部方向に爆弾物を投げた後、これをあとから調査してもわからないように、同じ場所を標的機が衝突し、123便は、内部からも外部からも攻撃を受けていたという可能性もある。
 
 当時の防衛庁長官

 123便の事故の当時、防衛庁長官だったのは加藤紘一だが、加藤は二人の人物の整形で、機長の妓郷蟻析此紛妖臍錣箸眛碓貎擁)である。
 また、死亡したといわれた坂本九も生きているようだ。何故、死んだことにしたかといえば、犯行に関わっているからだろう。
 坂本九は、防衛省のドンともいわれる早川紀代秀永田洋子とも同一人物である。
 
 123便は、防衛省長官がパイロットだったことになる。 

 インドの墜落事故

 この事件の前には、インド航空機が墜落する事故が起きている。
 これは、1982年8月19日頃に日本で起きた福田和子事件の被害者が、日本の首相でインドの首相だったことと関係があり、この事件の被害者のことをインド政府が暴きそうになっていたのを阻止するために起こされた事故だった可能性もある。しかし、それでも安心できない犯人たちは、今度は日本で墜落事故を起こして、事件が明らかになることを止めようとしたのだろう。
 加藤紘一(妓郷蟻析此砲蓮▲ぅ薀鷽佑如▲ぅ薀鵑離僉璽譽唸餡Δ筌曠瓮ぅ忙佞汎碓貎擁である。
 インドとイランは親しくしているようだが、インドで起きた旅客機テロや首相にまつわる騒ぎが、イラン人(赤軍派はイラン人ではないだろうか)の仕業であることがわかると困るので、それを誤魔化すために、テロが暴かれないうちに、再び123便事故を起こして、うやむやにしようと考えたのだ。
 インドの首相が福田和子事件の被害者である、ということは、インドでも首相(おそらく民主的な首相)に対して騒ぎがあったはずで、当時、日本の首相もしていたのだが、事件後首相を辞任している。
 首相をしている人物が、インドと日本で同じ人だったので、インドの旅客機テロの隠蔽方法を日本の旅客機事故を起こすことにしたのだろう。
 日本の首相は、当時、社会党出身者で反米政策を掲げており、CIAから目をつけられていたようだ。インドでも同じように反米政策をしていたとしたら、イラン人の旅客機テロ計画にアメリカが関与してそうである。
 しかし、この首相もイラン人テログループ(アラブ赤軍派→イラン赤軍派が正しい)も同じ仲間であり、そういう関係を演じては、資本主義と共産主義のバランスを保つ、というようなことをして権力や人気を継続させようとしている。