宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 23-12    仮谷さん拉致事件のつづき 菊地直子という生徒の殺害動機

 
  菊池直子はK倉
 
 K倉は、高校を卒業して大学に進学し、その後、放送局T社のアナウンサーとなった。

 K倉は、マラソンを得意としていた。そして、T社に入社してからはマラソンのレポーターをしていたことがある。

 I葉の父親は渡辺芳則か演歌歌手Mで、渡辺の別名は、ドイツのシュレイダー首相である。シュレイダーは、大戦中、サリンを開発し、大量生産していた。

 I葉はK倉(菊地直子)をずっとかばい続けているが、もし、K倉の方が菊池直子でなければ、異常な執着心でかばう意味がわからない。しかし、I葉とK倉は、親族であるなどの関係がある可能性もある。

 I葉という生徒(大内早苗)は、卒業後、1997年以降に、当時の教師だったU竹という教師や、同じ学年だった生徒会長だったK林という生徒を殺害している。
 

 菊地直子とは、S倉千代子の娘
 
 学校に、M原Nぶえが在学していて、M原のぶえは菊地直子の親族の関係であった。
 しかし、演劇部だったK倉と美術部だった下級生の菊地直子という女学生が喧嘩になり、1989年3月に菊地直子が殺害された。逃走犯菊地直子の名前は、この女学生の名前からきているらしい。おそらく、麻原彰晃も一緒だったに違いない。
 オウム内では、菊地直子という生徒を殺害したK倉紀子が菊地直子と呼ばれた。それは、菊地直子という学生を殺害していたからで、オウム内では、その人物が殺害した者の名前を呼んでいるらしい。
 
 M本まみかというK倉より2つ上の生徒も殺害現場にいたらしい。このM本まみかは、松本知子(指名手配犯の菊地直子でK倉N子の実母)であると思われる。当時は、国語の教師の長谷Gと名乗っていた(M本の卒業後、K倉が心配だったので、卒業してから国語の教師としてB学園に入ってきたと思われる。M本まみかは、イラストが得意だった)。
 殺害した時期については、K倉が卒業した年であり、場所は卒業式の校舎の中であったという。
 下級生が何故、卒業式に出ているのか不思議だが、卒業生に送る言葉などを読んだ在校生代表者が、菊地直子という女学生だった可能性がある。
 K倉は、その直後に在校生代表者か何かで卒業式に出ていた菊地直子という女学生を殺害したものと思われる。
 その後、学校に来る予定もない卒業生で元在校生は、しばらくそのことを忘れていたに違いない。
 しかし、1999年頃の、その当時のことを知っているK倉の同級生や同学年者が、フランス大使館やドイツ大使館の施設内で不審な死を遂げた者かいた。しかも、数人ではない。
 
 菊地直子は、高校でK倉N子と名乗っていたが、小学生の時は、K原今日子と名乗っていた可能性がある。K倉が高校3年だった頃、代々木の専門学校で同一人物と思われる学生(T橋純子)が入学したが、この生徒ほとんど学校には来ていなかった。高校の方に毎日通うので、代々木の専門学校には来れなかったのだろう。それを新聞奨学生をしていて眠くて来れない、などと周囲に言っていた。一方の学校にはほとんど来なかったので、同時に二人の学生をしていることも可能である。

 高橋克也とK元首相の関係

 同一人物である。演歌歌手Mと高橋克也とT嶋忠夫が同一人物で、K元首相と同一人物である。
 学校では数学の教師のW辺という名前だった。W辺と親しかったT石という教師が上佑史裕で、この学校の中の教師や生徒がオウム信者であり、人数にして十人ぐらいだろう。


 大阪の商工中金は、K政権の改革で民営化されることになっているらしいが、いまだにそれは宙ぶらりんのままだ。
 オウム信者が働いていた、とかで、改革の対象となっているが、当時、自分の会社にオウム信者がいたくせに、その社員の偽造口座を作らずに、オウムと関係のない人の偽造口座を作り、早く民営化されるようと称して、渡辺芳則の指定した暴力団やオウムでない者の口座を大量発行している。しかし、K元首相の息子(本人あるいは父親)が、山口組の渡辺芳則の次の代の会長なので、K元首相が民営化をやめようと思えばやめられる状況にあった。