宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 23-10    仮谷さん拉致事件のつづき 在家信者K野の正体 / 菊池直子とは

 オウムの在家信者K野の正体

 仮谷氏の娘でオウムの在家信者K野は、1990年代に、六本木にあるおかまバーに、高橋克也やK元首相らと出入りしていた。
 在家信者K野は、高橋克也やK元首相と愛人関係にあった。
 K元首相の愛人としてすぐ思い浮かぶのは、元T東京の元アナウンサーで国会議員のK池Y合子である。
 在家信者Kの顔は、K池に似ている。
 T東京は、平田信の父親が役員をしていた。
 在家信者K野は、K池Y合子の可能性がある。
 K池と思われる在家信者Kは、1982年頃、都内の女子校に中学生として入学しているが、これは、年齢を偽ったものである可能性がある。
 その頃の同世代の生徒たちはの両親の年齢は、40代ぐらいだが、在家信者K野の両親の年齢は、突出して高年齢だった。
 つまり、当時、30代ぐらいのK池が、13歳と偽って中学に入学していたということになる。
 タレントや芸能人や政治家は、自分のやりたいことを実行させたり、何かとんでもない犯罪をやらかして雲がくれしたい場合、年齢を誤魔化して、私立の学校などに入学していけしゃあしゃあと同世代の学生たちと学生生活を送ることもある。
 在家信者K野がもし、K池であるとすると、K池のバックには、悪名高いK元首相がいることになる。
 K元首相といえば、オウムの資金源しとしてオウムの内部では、逆らえる者がいない。
 
 K池の両親は、「I知事を総理大臣にする会」の世話人のようなことをしており、1960年代に議員に立候補し落選した後、エジプトに移り住んだ。石油会社と関係があり、エジプトでYという料理店を経営しているという。
 しかし、日本に帰って来ていたかして、南麻布に住んでいたと思われる。
 南麻布は、港区にあり、放送局T東京も同じ港区内にある。
 元T東京勤務者には、今は司会者でジャーナリストのT原S一朗がいる。
 T原S一朗は、明仁天皇と同一人物と思われ、赤報隊のテロの思想を司っている。
 K池は、韓国の歌手で、日本でもヒット曲となった大阪をテーマにした曲を歌っていたKウンスクと顔が似ている。
 オウムの「朝鮮」とは、韓国のKウンスクのことだろうか。

 美術部の菊池直子という生徒が二人の生徒に殺された
 
 K池の偽装の学生時代の親しい後輩に菊地直子がいた。当時はK倉と名乗っていた。K池の同級生に、I葉晃子という生徒がいたが、体格が大きく目が鋭いので、たいていの生徒はI葉を敬遠していた。このI葉という生徒が大内早苗である。I葉という生徒の担任が渡辺敏男という教師で、この人物が高橋克也である。K池と大内早苗は同級生で高橋克也が担任するクラスの生徒だった(K池はその後、女装していた平田信であることがわかっている)。
 菊池直子という名前は、この学校に通っていた生徒で、オウム信者らに殺害されているのかも知れない。オウム信者の名前は、ほとんどが本名ではなく、麻原と共に殺害した人の名前をオウム内で呼んでいたからである。
 だから、菊池直子という名前の本人をしらみつぶしに探しても、人相に一致するものはいなく、むしろ、その名前の人が殺されているか行方不明になっている場合に、その人間関係を探した方が、逃走犯の手がかりになるのではないだろうか。
 この学校に、菊池という苗字で年齢が似ている生徒がいたが、直子という名前ではない。しかし、姉妹に直子という名前の者がいたらしいが、その元生徒は、家族を何者か(オウム?)に殺されていて、何も話したくない、という状況であった。

 菊池直子という生徒は、当時、K倉と同学年の美術部だった。K倉は、演劇部で校庭で大道具を作成中に、隣で作業していた美術部の菊池直子という生徒と場所のことか何かで喧嘩になった。
 K倉は、そのことをニ学年先輩のM本という生徒に相談し、M本という生徒が卒業した1989年3月頃に、以前喧嘩した菊池という生徒を殺害した。
 殺害現場には、被害者の菊池直子と、実は母親であったM本という生徒でその当時、国語の教師として再び学校に来ていた長谷Gという教師がいた。
 長谷G教師は、娘のK倉が菊地直子という生徒を殺害するのを見て、とっさに「自分が殺した」と言い、警察でもそのように処理されてしまった。