宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 23-2    仮谷さん拉致事件のつづき 仮谷さんの妹に疑惑

 もともと、平田信と仮谷氏の妹は、従属関係(あるいはそのように見せかけた同族関係)にあり、仮谷氏殺害により、その傾向を一層強めた。
 仮谷氏の妹は、警察上層部の捜査に対して、何か違う、という理由でも多数の警察高官の殺害に及んでいるが、そのことを平田信が利用する、という構図になっている。

 仮谷氏の妹は、高橋克也との離婚に際し、オウム内での立場が急激に変化し(高橋の援助がなくなり立場が弱くなった)、オウム内で制裁をくらわせられるところだったが、脱退したので身内を殺害された。

 しかし、仮谷氏の妹と名乗る女性にも疑惑がある。
 仮谷氏の妹は当時62歳といわれていたが、妹を名乗る女性でオウム捜査官はもっと若い。
 仮谷氏の妹を殺害した女が妹と名乗っている可能性もあり、妹の年齢は、仮谷氏と6歳違いで当時62歳だが、仮谷氏の妹といわれている人物は、実際には55歳ぐらいで、早川との離婚により、立場を弱くした元妻が、自分が殺害した仮谷氏の妹を名乗り、その兄の仮谷氏をオウムに殺させ、それでよしということにした。
 仮谷氏の妹は、事件の後、オウム捜査官となったが、オウム捜査は全く進展せず、罪のない者ばかりがオウム逃走犯の汚名を着せられている。

 仮谷氏殺害を指示し、青山のオウム本部前で殺害されたといわれる村井秀夫は、実は生きている。 
 仮谷氏拉致事件の真相を警察に話すのがいやだったか、あるいは他の理由で、銃撃されたが、死亡していなかった。銃撃した人物は、仮谷氏の妹と名乗る女の元夫の演歌歌手Mで高橋である。

 仮谷氏の妹といわれるオウムの在家信者だった女は、仮谷氏の本当の妹を殺害し、仮谷氏拉致事件の当日、仮谷氏の居所を実行犯らに教えている。
 女は、女優のKという宝塚出身者であり、警察官らからオウム捜査官として信頼されている。
 Kは、演歌歌手Mで高橋と離婚後、オウム真理教の元信者で、現在はひかりの輪の代表の上佑史裕と結婚しているかあるいは兄妹である。この二人が、オウム捜査官のコンビである。仮谷氏の妹といわれる在家オウム信者゛たった女とコンビを組んでいるオウム捜査官は、M野といい、H首相と同一人物である。H首相は、別名で菊池直子とも結婚している。
 霞ヶ関の警視庁には、中村昇(麻原彰晃にも似ている)が勤務している。この男は、警察官僚をしていて、警視総監を決定する重役に就いている。

 平田と仮谷氏の妹といわれる女が操る警視総監と、警視総監を決定するオウム信者
 これが、今までオウムの捜査をしてきたといって間違い逮捕ばかりしている警察とオウムの関係の真相である。

 仮谷氏の妹と名乗る女のオウム真理教内での名前は、仮谷氏の妹の名前である。オウム真理教は、麻原彰晃と共に殺害した人物の名前を、使用して、オウム内で呼んでいる。

 仮谷氏の妹は、警察関係者の間では、T中S百合という名前で知られている。
 高島平殺人事件で殺害したI上という警視総監の遺族年金を遺族から奪い、その年金を受給している。
 T中は、警察関係者や現場の警察官に警視総監であるかのように装い、理不尽な命令をしている。

 仮谷氏拉致事件の現場には、菊池直子もいたといわれる。仮谷氏を運ぶ時に「(演歌歌手Mの元妻の犠牲になるのは)お前かよ」というような意味で、「チェッ」と舌打ちしたという。
 また、演歌歌手Mで高橋克也も現場に現われていて、殺害にも関与している。仮谷氏の妹は、離婚した後も、高橋と男女関係がある。

 仮谷氏の妹は、平田信と1970年代に、サバをよんで、同じ小学校に通っていた。その時、二人とも同じ苗字を名乗っていて、いとこであると、周囲に言っていた。その後、サバをよんで小学生となっていた「同級生」O川という女がが小学6年生になった時、高橋克也(演歌歌手M)と結婚した。そのことは、当時の週刊誌に載っている。
 この「同級生」Oは、仮谷氏の妹と親しい関係にあり、演歌歌手Mの新しい妻の側にいた者である。
 演歌歌手Mの新しい妻や仲間たちは、ある特定の仲間たちであったという。それは、赤軍派日本赤軍という仲間であると思われる。

 1986年、演歌歌手MがC5から独立し、ソロで活動をするようになった。その直後、C5の新しいボーカルには、仮谷氏の妹のいとこといっていた平田信になっている。1995年、二人は離婚し、その時、仮谷さん拉致事件が起きた。
 平田信と仮谷氏の妹の関係は、いとこといっているが、仮谷氏の妹が平田信を慕う形で、仮谷氏の妹は平田信のためなら何でもする、というような関係で、単なるいとことは違う感じもする。

 平田信は、「小学生」の時から自分は将来、天皇になるんだ、という夢があり、妹はその夢の協力者であったようだ。
 自分が天皇になる、という平田の発想はどこからきたものか定かではないが、父親か母親が皇族の関係者であったことが推測される。