宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件35-4 松山ホステス殺人事件(福田和子事件) 松山市と後藤組

 田中派の謀略 実行犯は福田

 事件の実行犯はT元外相のようだが、娘が好意を寄せていた男性は、山口組の構成員で、福田派を陥れるために仕組んだ、田中派の計画と考えられる。
 犯人が思いを寄せていた男性とT元外相の娘とは、前からの知り合いである事件の共犯者であり、この男性は、誰を殺すかを暗にほのめかす役だったのかも知れない。
 
 このM奈子を名乗る女の実親は、金日成の息子とT元外相であるらしい。


 松山とは何だろうか 

 M元首相は、金日成の息子と同一人物である。しかし、娘が殺害していたT中M奈子の里親は、M下K蔵とT元外相の娘だったらしい。
 M下K蔵でI山E太郎は、後藤組の組長をしている。
 
 F田兄妹の喧嘩した際に言った言葉の「愛媛にでも行ってしまえよ」というのは、何だろうか。
 I山E太郎氏は、シンガーソングライターのM下K蔵だった。M下のデビュー曲に「松山行きフェリー」というものがあり、松山とは、当時人気があったシンガーソングライター松山千Hを意識したものだった。売れるために、松山という地名を曲のタイトルにしたものであると思われる。松山市は、事件のあった愛媛県の都市である。
 事件の頃、M下K蔵はヒット曲を出しており、その時、「松山を利用した」というちょっとしたわだかまりのようなものがあり、その地で、売春宿をすることにでもなったのだろうか。

 1966年に、愛媛刑務所看守買収事件というものがあり、囚人の暴力団員が、面会に来た構成員から金をもらい、その金を看守にばら撒き、刑務所内で好き放題していた事件があった。この事件で当時服役中だった福田和子は、レイプの被害者となっている。
 この場合の福田和子とは、名前の本人で、ホステス殺人事件の犯人は、福田和子ではなく、T中M奈子を名乗る人物であると母親のT元外相であると思われる。福田和子本人は名前を売って金にした。犯人は、福田から名前を買い、犯人の名前を福田和子とさせ、逃走した。
 この買収事件を起こした暴力団員が後藤組の前身であると思われ、愛媛県は、後藤組の縄張りになっていたようだ。
 組長とM山千春は、昔から確執があったようだ。

 店で働いていた従業員は、M下でI山E太郎を組長とする後藤組の構成員の女たちであったと思われる。
 F田兄妹は、そのことを知っていた可能性がある。
 F田和子は、I山E太郎とつきあっていたか、愛人関係にあったか、後藤組の構成員であったことも考えられる。
 しかし、犯人の父親であると思われたM下K蔵でI山E太郎も、実の父親ではなく、娘を犯人に殺害された父親だったものと思われる。

 安岡厚子さんもI山の愛人で、後藤組の構成員であったことも考えられ、従業員同士でI山を巡り、三角関係があったのかも知れない。
 
 I山E太郎の婚姻関係は、後藤組の構成員の女たちである。
 おそらく、店で働いていたのは、ほぼ全員タレントであると思われる。
 その中に、S木H奈美(T中M奈子)やY代A紀がいた。

 Y代A紀の娘→T元外相 T元外相の娘→T中M奈子