宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件36-4ポーランド政府専用機墜落事故 消えた36人はCIA 大量暗殺?

 ポーランドは、大統領の院政をしていたのがスターリンで、スターリンとI知事は、I知事の支配下スターリンがいる、という構図で、I知事の新党のために、スターリンが親を殺していた政治家やその仲間らを犠牲にする、という魂胆だったと思われる。
 トゥスク首相(I知事)は、テロの起きる前、プーチン大統領と会い、カチンの森事件のあった地を訪れ慰霊をしていた。ここでアリバイを作り、慰霊の後、ワルシャワに戻り(移動には戦闘機を利用?)、政府専用機に爆発物を持って乗り、着陸寸前に爆発物(核物質入り)を爆破させ、旅客機を墜落させた。


 ポーランドの政治家(コモロフスキ氏?)の中に、スターリン本人が別名で政治家をしている可能性もあり、オウム信者らも、ポーランドの政治家や妻、政府関係者がいて、コモロフスキ氏が院政を敷いていたカチンスキ政権を狙い、テロを行い、スターリンの事件を隠そうとする狙いがあったものと思われる。何故かというと、カチンの森事件が明らかになるにつれて、他の事件も暴かれることに危機を抱いたためだ。コモロフスキ氏が何故、カチンスキ氏の院政を敷くかというと、親などをコモロフスキ氏が殺していたいきさつがあり、カチンスキ氏や双子の兄も、コモロフスキ氏に操られていたためかも知れない。

 36人はテロリスト

 132人の乗員乗客のうち、死亡したのは、96人で、この96人については遺体が収容されている。しかし、132人から96人を引いた36人の行方は報じられておらず、この36人がテロリストか、この人数に近い人数のテロリストがいた可能性がある。
 旅客機事故の場合にも、事件を起こしたテロリスト本人たちは生存して、逃げていることが考えられる。
 旅客機が墜落し体が地上にたたきつけられたとしても、他の乗員乗客らを犠牲にして、テロリストは生きていたことが考えられる。

 オウム信者タリバンも、アメリカのCIAで、この旅客機テロの犯人はCIAでもある。

 テロリストの素性
オウム信者タリバンが働いている運輸会社の社員やアルバイト(犯人で首謀者とは同僚)。その中に、ドイツのナチだったシュレイダーの子も混じっている。シュレイダーは、サリンを開発した化学者で渡辺芳則ある。、
・首謀者で実行犯人のI井S里が知事をしているT都の職員
 この二つの会社や団体は、事故があった当日や次の日には、「もぬけのからっぽ」と噂された。

 事故機には、タリバンのテロリストも乗っていた。
・オサマビン・ラディン師(I知事)
・サイフ・アル・アデル(演歌歌手M)
ハンブルグ細胞(T童よしみでSザンヌ)
ムハンマド・アタ(T童のマネージャーでNHKのT田S一アナウンサーで歌謡ステージの司会者)
・アル・ムナワー(P首相本人で昭和天皇の息子でH山I一郎→政治家のM添Y一も同一人物→ヒトラーとも同一人物→アフガニスタンのKイザル大統領とも同一人物?)
ムハンマド・アーテフ?(お笑いコンビDのM本H志)
・M本H志の番組のディレクターのT須M聖
・アル・マシリ(平田信

 アル・ムナワー(P首相)→ムハンマド.アーテフ(お笑いコンビM本)→オサマビン・ラディン師(I知事)及びサイフ・アル・アデル(演歌歌手M)→オウム及びCIAの順で命令が伝わる。

 これらのテロリストは、スモレンスク空港で働く職員だったか、または扮して空港にいた。
 目的の旅客機が到着寸前に、全員でダメだダメだ、のようなことを思い、正常に到着することを妨げた。
 旅客機の到着の場合、政治的意味が含まれ、空港で侵入を防ごうとすると、旅客機の到着が難しくなると思われる。
 機内でそれを知っているテロリストがその時に爆発物を爆発させたと思われる。

 旅客機(軍用)の残骸には、コックピットが見当たらなかったといわれる。旅客機とコックピットは、接続されているかして、墜落の直前にコックピットだけが本体と離され、コックピット部分だけがどこかへ脱出したのだろうか。軍用旅客機ということで、普通の者には計り知れない作りになっていたのだろうか。

 カチンの森事件式典のいきさつ 大量暗殺?

 カチンスキ氏とプーチン首相との会談で、カチンの森事件の話しとなった背景には、イギリスからのすすめがあった。ポーランドは、亡命政府として、イギリスのロンドンに政府があったことがあり、イギリスの意向に添った行政があった歴史がある。
 しかし、イギリスは、ロシアとポーランドカチンの森事件についての話し合いをすることは、両国にとって思わしくない結果になるであろうことを知っていて、わざとポーランドにすすめた感がある。
 ポーランドは、ロシアの亡命政府としても、フランスに政府が置かれていた時代もあり、イギリスもロシアも、独立できないのなら面倒をみるのはもうやめたいという本音があったようだ。