宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-292 9.11同時テロ事件のつづきムハンマド・アーテフをかばい続ける日本政府

 ムハンマド・アーテフをかばい続ける日本政府

 イラク戦争のあった2004年頃、国会でムハンマド・アーテフのことが話題になった。日本のマスコミは、タリバンのテロのことはサウジなど中東諸国の問題だと思ってか、このことは報道されていなかった。
 国会ではムハンマド・アーテフは、インド洋上で拘束した後どうなったか、の質問があり、その質問に対し自民党の議員は「ムハンマド・アーテフはインド洋上で死亡しました」と答えている。
 その後、ムハンマド・アーテフの情報として、2001年10月頃、何かの爆撃により死亡した、などが言われている。
 この二つの情報は噛み合っていない。もし、ムハンマド・アーテフが2001年10月に死亡したのだとしたら、インド洋上で拘束されるわけはない。
 日本がムハンマド・アーテフが死亡した、と答弁された後も、アメリカの指名手配書には、ムハンマド・アーテフの写真が掲載されていた。
 ムハンマド・アーテフが死亡した、というのは、本当だろうか。
 もし、死んでいないのなら。何故日本政府はムハンマド・アーテフをかばい続けるのだろう。
 

 ムハンマド・アーテフとは、タリバンの軍事部に所属し、パイロット免許を取得している。
 9.11のテロの時、事故機の上空にE-4Bという旅客機が飛行していたという。この旅客機に乗っていたのが、ムハンマド・アーテフで、彼は、事故機のパイロットに対して、墜落するよう命令をしていたとされる。しかも、それはペンタゴンの命令であるといもいわれている。
 
 当時のペンタゴン長官は、R元長官である。
 この人物は、自民党のA前首相と同一人物であると思われる。
 ペンタゴン長官の命令でテロが起きたとしたら、演歌歌手MやH山Y紀夫がタリバンの軍事部である可能性がある。
 A前首相は、福岡県でS本と名乗っている。この人物は、演歌歌手MやH山Y紀夫によく似た、S本Y爾やS本S爾という兄弟の父親である。
 Y爾はS本を「オヤジ」と呼び、S爾の方は「お父さん」と呼んでいる。
 三人は、親子であると思われる。
 つまり、R元長官の息子の二人が、タリバンのサイフ・アル・アデルでムハンマド・アーテフだったとしても不思議はない。
 しかも、Y爾の方は、フセイン元大統領でF岡弘と同一人物である。
 S本は、兄弟のうち、どちらが上かで、イラク戦争を決めたという。
これは、つまり、Y爾がフセインでS爾の方がフセインの上に立つ立場にあったということである。イラク戦争を決めたのは、イギリスのブレア首相で、最初にイラク戦争を提案したのは、デイビット博士という、R元長官の変装した人物である。
 このことから、S爾の方は、イギリスのブレア首相だったことが推測できる。
 S爾とS本氏が共謀して、Y爾の方を空爆した。
 しかし、二人とも息子なので、フセイン元大統領で演歌歌手Mでサイフ・アル・アデルも実は処刑を免れている。
 これは、寸前になり親が助けたためであるらしい。


 テロは、このようにして、ペンタゴン元長官のR氏と二人の息子によって起こされたものだが、オサマビン・ラディン師も、実は、命令系統ではサイフ・アル・アデルの次にいる者である。
 結局、タリバンのテロでは死亡したテロリスト幹部はほとんどいないし、フセインも処刑されていない。

 自民党の答弁は、当時、R長官だったA前首相が自民党国務大臣職にあったために、息子がかばわれた、ということであると思われる。

 今回はイギリスのわがまま(戦犯国)
 
 しかし、このことについては、イギリスのエリザベス女王がアーテフでブレアをかばいだてしていたと思われる。
 イギリスのエリザベス女王は、菊地直子の件でも無理にかばうように頼んでいる。菊地直子の夫が、ブレア(小学生の時、田口謙Jと名乗っていた→押尾Gと同一人物)だからである。だからといって、イギリスが日本に何かをしてくれたこともない。そして、「安全なこの国(日本のこと)で働いています」、とぬかしているのだ。
 エリザベス女王は、いったい日本人を何だと思っているのだろうか。

 自民党のA政権が終わっても、次の政権は息子のH山Y紀夫政権である。
 日本は防衛権しか持たず、しかも、北朝鮮や中国からの威嚇に対して何もいえないし、何も攻撃しない。
 このようなアンバランスな政策をとっているのでは、行政は国民になすりつけるからいいかも知れないが、国民には負担が重い。
 国とは戦争がからむと、国民と政府の間でよけいに軋轢が生じる。国民は、今や政府のやり方に対して反発寸前である。