ムハンマド・アーテフをかばい続ける日本政府
イラク戦争のあった2004年頃、国会でムハンマド・アーテフのことが話題になった。日本のマスコミは、タリバンのテロのことはサウジなど中東諸国の問題だと思ってか、このことは報道されていなかった。
国会ではムハンマド・アーテフは、インド洋上で拘束した後どうなったか、の質問があり、その質問に対し自民党の議員は「ムハンマド・アーテフはインド洋上で死亡しました」と答えている。
その後、ムハンマド・アーテフの情報として、2001年10月頃、何かの爆撃により死亡した、などが言われている。
この二つの情報は噛み合っていない。もし、ムハンマド・アーテフが2001年10月に死亡したのだとしたら、インド洋上で拘束されるわけはない。
日本がムハンマド・アーテフが死亡した、と答弁された後も、アメリカの指名手配書には、ムハンマド・アーテフの写真が掲載されていた。
ムハンマド・アーテフが死亡した、というのは、本当だろうか。
もし、死んでいないのなら。何故日本政府はムハンマド・アーテフをかばい続けるのだろう。
ムハンマド・アーテフとは、タリバンの軍事部に所属し、パイロット免許を取得している。
9.11のテロの時、事故機の上空にE-4Bという旅客機が飛行していたという。この旅客機に乗っていたのが、ムハンマド・アーテフで、彼は、事故機のパイロットに対して、墜落するよう命令をしていたとされる。しかも、それはペンタゴンの命令であるといもいわれている。
当時のペンタゴン長官は、R元長官である。
この人物は、自民党のA前首相と同一人物であると思われる。
ペンタゴン長官の命令でテロが起きたとしたら、演歌歌手MやH山Y紀夫がタリバンの軍事部である可能性がある。
A前首相は、福岡県でS本と名乗っている。この人物は、演歌歌手MやH山Y紀夫によく似た、S本Y爾やS本S爾という兄弟の父親である。
Y爾はS本を「オヤジ」と呼び、S爾の方は「お父さん」と呼んでいる。
三人は、親子であると思われる。
つまり、R元長官の息子の二人が、タリバンのサイフ・アル・アデルでムハンマド・アーテフだったとしても不思議はない。
しかも、Y爾の方は、フセイン元大統領でF岡弘と同一人物である。
S本は、兄弟のうち、どちらが上かで、イラク戦争を決めたという。
これは、つまり、Y爾がフセインでS爾の方がフセインの上に立つ立場にあったということである。イラク戦争を決めたのは、イギリスのブレア首相で、最初にイラク戦争を提案したのは、デイビット博士という、R元長官の変装した人物である。
このことから、S爾の方は、イギリスのブレア首相だったことが推測できる。
S爾とS本氏が共謀して、Y爾の方を空爆した。
しかし、二人とも息子なので、フセイン元大統領で演歌歌手Mでサイフ・アル・アデルも実は処刑を免れている。
これは、寸前になり親が助けたためであるらしい。
テロは、このようにして、ペンタゴン元長官のR氏と二人の息子によって起こされたものだが、オサマビン・ラディン師も、実は、命令系統ではサイフ・アル・アデルの次にいる者である。
結局、タリバンのテロでは死亡したテロリスト幹部はほとんどいないし、フセインも処刑されていない。
自民党の答弁は、当時、R長官だったA前首相が自民党で国務大臣職にあったために、息子がかばわれた、ということであると思われる。
今回はイギリスのわがまま(戦犯国)
しかし、このことについては、イギリスのエリザベス女王がアーテフでブレアをかばいだてしていたと思われる。
イギリスのエリザベス女王は、菊地直子の件でも無理にかばうように頼んでいる。菊地直子の夫が、ブレア(小学生の時、田口謙Jと名乗っていた→押尾Gと同一人物)だからである。だからといって、イギリスが日本に何かをしてくれたこともない。そして、「安全なこの国(日本のこと)で働いています」、とぬかしているのだ。
エリザベス女王は、いったい日本人を何だと思っているのだろうか。
自民党のA政権が終わっても、次の政権は息子のH山Y紀夫政権である。
日本は防衛権しか持たず、しかも、北朝鮮や中国からの威嚇に対して何もいえないし、何も攻撃しない。
このようなアンバランスな政策をとっているのでは、行政は国民になすりつけるからいいかも知れないが、国民には負担が重い。
国とは戦争がからむと、国民と政府の間でよけいに軋轢が生じる。国民は、今や政府のやり方に対して反発寸前である。