宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 102 明仁天皇は渡辺芳則になっている

 A生元首相が明仁天皇に扮していると思われたが、その後、違っていたことがわかった。明仁天皇に扮しているのは、渡辺芳則である。
 1995年6月の松本サリン事件でH山夫妻に明仁天皇が殺害されてから、H山の妻で大内早苗の父親(H山Y紀夫にとっては義理父)が明仁天皇に扮していた。
 これまで15年間、誰にも気づかれずに、明仁天皇を殺害し、明仁天皇になりすましていた。

 明仁天皇と同時に、M皇后も殺害されているものと思われる。
 M皇后に扮しているのは、明仁天皇を殺害した渡辺の娘(森順子)であると思われる。
 渡辺の娘は、天皇皇后を殺害し、天皇を父親が、皇后を自分がそれぞれ扮している。


 他の皇族は、山口組暴力団事務所となりつつある皇居に住むことが耐えられなくなり、別の場所に住居を移している。あるいは、暴力団に殺害されているものとみられる。
 
 渡辺芳則は、連合赤軍塩見孝也で、歌謡コーラスグループのM本E朗や、ジャーナリストのT原総一朗(娘もE川S子というジャーナリスト)とも同一人物である。
 
 オウムの秘密

 何故、そんなに簡単に大内早苗や上佑史裕が皇居内に入れたかというと、オウムには秘密があった。
 Hの宮夫妻がオウムだったからである。
 Hの宮(国府の宮)は、麻原彰晃で、妻の皇太子M子が菊地直子だったからである。
 松本サリン事件の後、皇居に行き、Hの宮とM子が皇居内に大内や上佑らを入ってもよいと許可をしたに違いない。
 その前から入っていたのかも知れない。
 Hの宮は1968年頃、殺害され、その後、麻原彰晃が扮していた。M子はもともと菊地直子だったが、本名は、O和田という名前でなく、Hの宮の妻になりたかったので、資産家で天皇家と親戚などの関係にあたるO和田家の家族を殺害し、O和田M子として、天皇家に嫁いだ。

 1997年7月に殺害されたのは、義の宮だろうか。明仁天皇が死亡した後、天皇の代理をしていた人物が、皇居内にいた麻原や渡辺芳則に殺害され、遺体の一部を食べ、ゴミ袋に入れられ出されている。
 義の宮をしているのは、連合赤軍の佐々木規夫であると思われる。この人物は、漫画家のWちさんぺいという人物に似ており、HTの宮(義の宮)の紹介には、Wちさんぺいの代表作のキャラクターの名前がHTの宮のあだ名になっているとされている。
 しかし、義の宮と渡辺芳則の関係は、グリコ・森永事件より前からの関係で、すでにその時には、義の宮は別の人物になっていたことも考えられる。
 義の宮は、HTの宮という名前に変更されているが、茨城県に縁があるとのことで、茨城県といえば、渡辺芳則の出身地であるといわれている。
 義の宮でHTの宮をしている人物は、A生元首相に似ており、兄弟ぐらいの関係ではないかと思われる。
 どちらが天皇になるかをめぐって、明仁天皇とHTの宮の戦いが繰り広げられていたが、HTの宮の味方は、渡辺芳則ら山口組であった。

 2007年頃、三笠フーズという会社が、汚染米を販売したとして問題になった。誰でも頭をかすめたかも知れないが、三笠フーズの三笠とは、三笠宮の三笠と同じ文字である。
 その名前を会社名に使用した会社が汚染された米を販売してもいいのだろうか、と思ったはずである。
 三笠宮は、その直前に死亡していた可能性が高い。
 今、三笠宮に扮しているのは、A生元首相であるらしく、本物の三笠宮はいない。
 上野公園ボート池殺人事件で死亡した被害者が、最後に残された三笠宮なのかも知れないし、2家月後に駒込のサウナで起きた男性の殺人事件の被害者が三笠宮なのかも知れない。
 しかし、三笠フーズの社長の白木という人物は、麻原彰晃が扮している人物であり、三笠宮の殺人事件に麻原が関与しているとしたら、上野公園ボート池殺人事件であると思われる。
 あるいは、同類の事件が別の場所で起きていたことも考えられる。
 上野公園ボート池殺人事件には、A生元首相が関係しており、被害者の顔を変造して描かせたのがA生元首相である。
 A生元首相は、三笠宮に扮している人物である。
 
 天皇家の男子は、今は一人も残されていない。いるのは、ニセモノだけである。東大病院は、天皇のガンの治療をやめるべきである。明仁天皇を殺害した渡辺の娘の治療もやめるべきである。