今、天皇明仁をしているのは渡辺芳則
1995年6月の松本サリン事件の当日の深夜に、明仁天皇が殺害されている。松本サリン事件の首謀者である大内早苗が、警察に逮捕されたくなかったので、天皇に会わせろ、と皇居に行った。
その後、明仁天皇に男女関係を迫るフリをして、一緒に来た夫のH山Y紀夫と共に、明仁天皇を殺害した。
大内早苗は、渡辺芳則の娘で、朝鮮名を金敬姫といい、父親が最も溺愛する娘であるといわれている。
ところで、渡辺芳則は、亀井S香でもある。
亀井は、出身地である地方都市の警察署(広島県庄原市)で婦人警官をしていた女性であったが、ある時、渡辺の娘の大内早苗に殺害された。そして、父親の渡辺が、娘が殺した亀井S香という名前を名乗り、警察官として居座ったのだろう思われる。
そのうち、そのことに気がつかなかった同じ署の警察官が次々と殺害されていき、山口組警察署となった。
渡辺は、娘を溺愛しているので、娘の支配の世の中にするために、わざと娘が殺した人物を自分が名乗り、娘のために、警察と宮内庁を支配しようとしたというわけだ。
1995年6月に、明仁天皇を大内早苗が殺害してから、明仁天皇に扮しているのは、渡辺芳則(M本E郎)である。
A生太郎は、義の宮を追い出し、義の宮に扮している。
おそらく、妻が殺害されてしまったか家族が殺害されてしまったのだろう。
渡辺芳則は、山口組の五代目組長だが、ある時期から皇居が暴力団事務所であるといわれていたのは、このためである。
他の皇族も、到底住めたものではないと、別の場所に移住している。
日本国は、大内早苗と渡辺芳則の支配を15年も続けている。
渡辺芳則は塩見孝也である。A生太郎とは別人であるが、仮谷さん拉致事件の仮谷さんはA生元首相である。塩見の娘で大内が森順子である。
H山Y紀夫は、吉野雅邦であると思われる。
オウムは警察の名をかたり他人の家に侵入する
オウムは警察の名をかたり、他人の家に侵入する。
集団で押しかけ、あなたの家の誰それが何の罪です、というようなことを言い、家に入り、部屋のカギがかかっていれば、それを家の人に開けさせる。
オウムは、度々世の中の情勢により、不利な立場に立たされることもあるが、そのようにして部屋に侵入した者にそれをなすりつけ、窮地を脱することがある。
彼らが家や部屋に入りたがる時とは、自分たちが不利な立場に立たされている時であり、彼らが復活することを避けなければならない。
平田信などは、江東区内で警察官の制服を着た姿を目撃されている。自転車で表われて、しばらく様子をうかがうように、敷地内にいる。
アパートなどの場合は、仲間が部屋を借りていて、その部屋にいて、様子を探ることがある。
オウムが様子を探るようにするのは、自分たちが逮捕される危険性があるかどうかの時であり、時に調査会社を装い電話をかけてくることもある。
何歳の社会人のデータが足りないのでご協力下さい、というようなアンケート電話の時もある。
そういう電話にうっかり答えてしまうと、つきまとわれるハメになる。
オウムは、世の中が平和な感じになってくると、このような行動に出ることが多く、そういう時には、不審な人に関わらないようにするべきである。
オウム信者の名前の由来
オウム内でつけられた名前は、信者の身内を麻原と信者自身が殺害した身内の別名を名乗っていることがある。
例えば、信者Aがいて、信者Aの身内Bが他の場所で生活していたり働いていたりしている名前の人を、信者Aが気づかず、麻原があの人を殺そうと信者Aに殺害の共犯を持ちかける。信者Aとしては、麻原が共犯を持ちかける殺害の相手が、信者Aの身内だと信者A自身が気づかないでいるが、殺害した後、信者Aが、殺害した相手を自分の身内であったと気づくという具合である。
信者Aとしては、身内を麻原と共に殺害してしまっているので、どうしても麻原の命令を聞かずにはいられなくなるし、オウム信者が麻原の命令をすんなり聞いてしまうのは、こういう秘密があったのだ。
麻原は、信者を騙して信者の身内を殺害して(させて)いたのだ。
麻原にしてみれば、信者を騙して身内を殺させ、信者の情操を操れるというわけである。