宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝剤探偵所の迷宮事件 ①-309    9.11同時テロ事件のつづき ファラオ一族か愛新覚羅家か

 タリバンのアルマスリ旅団の資金源の人物のムハンマド・アーテフは、エジプト人であるといわれる。
 タリバンのテロのムハンマド・アタもエジプト人留学生ということであるが、タリバンの構成員の中に度々エジプト人が登場する。
 エジプトは、大昔、栄えていた文明があり、王がいたが、あまりの恐怖政治のために王一族を市民らが殺害し、その墓を封印している歴史があ。それは、ファラオの墓とかファラオの呪いといわれている。
 実は、ムハンマド・アーテフというアルマスリ旅団の資金源は、この封印された元王一族の生き残りなのではないかと思われる。
 この王一族は、ロスチャイルド家と関係があり、歴史の中では戦争中に度々登場し、戦争に関わる政治家の資金援助をしていたらしい。
 ムハンマド・アタの父親は、ムハンマド・アーテフである。
 ムハンマド・アタとは、オウムの麻原彰晃であり、ムハンマド・アーテフとは、A生元首相であると思われる。
 ムハンマド・アタは、ムハンマド・アーテフの息子を殺害し、息子を名乗っている(ムハンマド・アタとはタレントのY本T広であり、父親はコメディアングループのK藤茶であり、この人物がムハンマド・アーテフである)。
 H山Y紀夫の顔は、エジプトのファラオを彷彿とさせるが、彼は、A生元首相の息子でエジプト人である可能性がある。
 
 A生元首相は、アルカイダの父親であり、アルカイダのリーダーであると思われる。タリバンのテロのメンバーは、A生元首相をどこかで父親と呼んでいることがわかっている。例え、本当の親子関係でなくても、タレント業をしている中の親子関係である場合もあるし、暴力団の親分子分の関係でもオヤジなどと呼ぶ場合もある。
 
 エジプトに、タリバンの養成学校といわれるアシュート大学という大学があり、この大学の講師のイスラム法学者が、オマル師で、明仁天皇をしている渡辺芳則である。
 この学校で、イスラムについた学んだ学生が、テロリストとして世界のテロを実行しているか、予備軍となると思われる。
 このアシュート大学の校長をしているのは、麻原彰晃であるといわれる。
 麻原彰晃は、SGI会長のI田D作と同一人物であり、アシュート大学はSGI系である可能性もある。
 A生元首相は、SGIと同団体の日本名のS学会の三井A生と呼ばれる人物であり、S学会の幹部である。
 この大学の創立者か資金を出した人物は、エジプト人のA生元首相である可能性がある。

 タリバンはCIA

 ムハンマド・アーテフもCIA(長官をしていた)である。 
 タリバンがCIAだといわれるのは、実は本当のことである。
 それもそうだが、アメリカの世界支配の一環として、国王制を採用している国でもしアメリカの権限が強いとすると、ほとんどの場合、国王をCIAが殺害していて、国王家族になりすましている。そして、それをイギリスが支援している。
 驚くべきCIAのアメリカの謀略戦術である。

 タリバン西太后に関係か
 
 また、A生元首相は、中国人であると噂もあり(R元長官は中国人だ、官僚だといわれたことがある)、西太后の時代の西太后の夫か西太后の家系の愛新覚羅家の溥儀にも顔が似ている。 
 1959年、溥儀が中国の刑務所から出所した。
 その頃から、日本人がフランスのブティックで拉致される事件が起き、拉致された日本人は、中国の見世物小屋に売られたという(日本の裁判所は冤罪に無頓着で、悪警察官や犯罪人らと一緒になり、証拠もないのに裁判所の礼状を出し、家宅捜査などをしている)。
 西太后は、自分のライバルなどの手足を切断し、生きたまま瓶に浸けたり、トイレなどに置いていたという。 
 溥儀の出所と日本人に対する拉致の時期が一致している。これは、溥儀がラストエンペラーといわれた日本人に対する復讐のつもりだったのだろうか。
 西太后の政治は、恐怖政治だったに違いなく、日本とは無関係なものである。むしろ、中国が恐怖政治の助けを日本に求め、それが元で失脚したのを、さらにそれを日本のせいにした、という言い方の方が合っているだろう。昭和天皇は、溥儀が日本に来る際には、丸の内まで出迎えた、などといわれているが、おしつけられるのがどうかと思い、丁重に扱っていたからではなかったのだろうか。
 大正天皇という天皇が日本にいたが、この人物は、中国人である(毛沢東と同一人物)。この人物は、A級戦犯となった東条英機と同一人物でもあり、恐怖政治は中国人の政治の悪さで、日本人のせいではない。 
 中国は、昔、猟奇殺人などが流行っていて、共産党が支配する危険な国であるといわれていた。