宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 105    天皇陛下殺人事件のつづき 明仁天皇と大正天皇は同一人物

 明仁天皇をしている人物は、渡辺芳則と同一人物であると思われる。そして、渡辺芳則の実の父親は、大正天皇であるという。
 大正天皇の身長は、145cmぐらいだった。渡辺芳則は、実際の身長は、160cm~165cmぐらいであり、身長は低い方である。構成員の前に出る時には、着ぐるみなどを着て変装しているものと思われる。
 明仁皇太子は、1945年頃、中国か台湾などで殺害されていて、その後、明仁皇太子の替え玉となったのが、渡辺芳則である。
 渡辺芳則は、戦中首相だった東条英機と同一人物であるという。
 つまり、東条英機が処刑される代わりに明仁皇太子が身代わりになり殺害され、渡辺が明仁皇太子になり替わった。
 A級戦犯の処刑日は、1945年12月23日で、明仁皇太子の誕生日である。
 明仁皇太子は、誕生日を処刑日にされているので、明仁皇太子の作戦であったという見方も出来る。但し、明仁皇太子は当時10歳~12歳ぐらいであり、どこまで計画に参加していたかはわからない。
 そして、12月23日には、東条英機が処刑されたに見せかけて牢獄を出ており、その代わりとして、台湾などに人質にとられていた本物の明仁皇太子が処刑された。
 今の明仁天皇に扮している渡辺芳則は、ドイツのナチの化学兵器を製造していた(化学兵器省?)シュレイダ-という博士である。娘は、エバ・ブラウンでヒトラーの愛人だった女である(エバ・ブラウンはAの宮紀子である)。
 渡辺芳則は、大正天皇の息子であるが、明仁天皇と皇后M子の間に生まれた子たちは、全て死亡している。そして、殺害した者かその周囲にいる者が新しい皇族の替え玉となっている(殺害した者は、オウムの逃走犯として手配されている三人であると思われる)。そして、オウム信者の幹部は、ほとんど今の明仁一族の家族となっている。
 大正時代は、15年までしかなかったが、大正天皇が何故死んだかは不明である。しかし、頭がおかしかったという話は、日本人の間では有名である。
 そのせいもあり、平成は短いだろう、と当初言われていたのだろう。
 
 しかし、気になることに、東条英機の息子といわれていた人物の里親が、大正天皇であると勘違いされていたことがあり、渡辺芳則で東条英機大正天皇は同一人物である可能性もある(その場合は今の明仁天皇大正天皇と同一人物)。
 この人物は、中国の周という時代の皇帝だった人物と同一人物か家族であり、毛沢東などとも同一人物で、ルーツは中国にあると思われる。明治天皇も中国人の親を持っているところから、日本の天皇のルーツは<客家>と呼ばれる中国人にある可能性がある(周の皇帝に関するエピソードがある。周の皇帝には、愛人がいたが、この愛人を笑わせるために味方に狼少年のように敵が来たと言ってはウソだったと言い、それを見た愛人がその時に大笑いしたので何回も続けるうちに、本当の敵が攻めて来て周が滅びたという。この周の皇帝の愛人だったのが、今の渡辺芳則の娘であるといわれている大内早苗かも知れない。愛人と呼ばれる女には、相手の男の親を殺害している場合が多い。大内早苗は、西太后の妹だという説が有力で150歳~170歳ぐらいであると思われる。西太后が生まれたのは1835年)。
 
 東条英機大正天皇であるとすると、大正天皇は死んでいなかったことになる。昭和天皇は、後の記述により、特に戦中などの政治家に対して文句の多いことで知られているが、自分の天下ではなかったといえなくもないと思われる独り言や会話が少なくない。
 第二次世界大戦の体制は、実は東条英機大正天皇の天下だった可能性もある。
 東条英機大正天皇は、渡辺芳則と同一人物だが、渡辺芳則の山口組が高齢者を狙うことが多いのは、戦争時代を知っている人々にそのことに勘付かれると困るからではないだろうか。
 東条英機で渡辺芳則は、中国の毛沢東周恩来とも同一人物である。