宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-67    仮谷さん拉致事件のつづき オウムの殺人の中心は皇族殺人


 日本の魔女狩りの発端となった仮谷さん拉致事件の仮谷さんの遺体は、江東区下水処理場の煙突の下にあると思われる(しかし、仮谷氏の遺体は、2010年11月4日の深夜に大内早苗により掘り出され、別の場所に移動させられたか、処理された可能性がある)。
 

 オウムが殺害した皇族

常陸の宮・・・・1995年11月30日頃、江東区下水処理場の近くの会社で殴り殺し、近隣の鉄会社で遺体を溶鉄炉で灰にし、下水処理場に埋めた。三笠宮という説もある。
・Nの宮・・・・・1997年か1998年頃、フランス大使館で殺害し、遺体を敷地内の庭に遺棄した。
高円宮・・・・・オウム裁判の裁判長をしていた高円宮を、カナダ大使館で殺害した。

 Hの宮、Aの宮も、1960~1970年代に後のオウム幹部により殺害されている。

 下水道施設に埋められた遺体について、常陸の宮ではなく三笠宮であるという説が出てくる。これは、おはぎとオレンジジュースをもらった井上嘉浩が、現在の三笠宮になりすましているためである。
 おはぎとオレンジジュースを麻原が井上の渡した時の殺人が、三笠宮であると思われるが、三笠宮が仮谷さんがどうかはわからない。
 しかし、明仁天皇と背格好が似ているはずで、常陸の宮は明仁天皇によく似ているが、三笠宮は身長が大分違うと思われる。

 高橋克也は歌謡コーラスグループのボーカルをしていたが、そのグループに明仁天皇もいた。
 明仁天皇高橋克也は、もともと強弱関係があった。
 明仁の情操を高橋が操っていることが考えられ、しかし、高橋は、それを明仁の命令で行ったという風に周りが思うように巧妙に成り行きを運んでいる感がある。
 明仁天皇高橋克也も、何百年も生きている人であり、大昔からの関係がある。

 仮谷さんは天皇をしていた人物?

 仮谷さんは常陸の宮だと思われるが、明仁天皇が皇太子だった頃、塩見孝也として逮捕され投獄されていたことから、常陸の宮が皇太子の代行をしていた可能性があり、そのまま天皇職をしていた可能性もある。
 常陸の宮と明仁天皇の確執があり、天皇の座を巡って争いをしていたことは関係者の間では知られているという。
 天皇は、皇太子妃の義理の父親である。
 高橋克也菊地直子の離婚に、自宅のあった目黒区の公証役場で対応に出てきたのが仮谷さんだと思われるが、菊池直子は皇太子妃M子であり、仮谷さんが天皇だとすると、義理の父親ということになる。
 ここで仮谷さんは、演歌歌手M(高橋克也)にものいいをつけ、それを恨みに思った高橋克也は、江東区の会社で連れてきた仮谷さんと一緒に働いていたが、1995年11月頃、仮谷さんを殴る蹴るなどの暴行を与え殺害し、遺体を近隣する溶鉄会社に運び、遺体を溶解炉で灰にし、何か壷のようなものか会社にあった器のようなものに入れ、近隣する下水道施設の煙突の下に埋めたものと思われる。
 
 あるいは、仮谷さんはもともと明仁天皇であったと、主張しているオウム信者もいると思われる。
 しかし、今明仁天皇をしている人物と昔の明仁皇太子の写真はそっくりであり、明仁天皇が殺害されていたかどうかはわからない。
 宮内庁は、仮谷さんが拉致されてから殺害されるまでの間、1995年2月~1995年11月まで9ヶ月の間、何故、行方不明になったなどと騒がなかったのか、疑問である。
 仮谷さんは、1995年2月に、品川区の路上で拉致されてから、車で運ばれたが、その後、江東区南砂町駅の近くの運輸会社まで連れてこられて、一緒にここで働こうと誘われ、9ヶ月の間、その会社で働いていたという。
 会社が終わった後、皇居に帰っていたのだろうか。それとも別名を持っていたのでその家に帰ったのだろうか。あるいは、会社の寮に寝泊りしていたのだろうか。