宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-58    仮谷さん拉致事件のつづき 魔女狩りの関係国

 また、隣町のブレーメン音楽隊の隊員が笛吹き男であるとすると、さらって来た子供を音楽隊の一員かサーカスの団員として養成したことも考えられる。もちろん、選りすぐりの子供のはずで、見込みのない者は殺されて臓器を食べてしまったとも考えられる。サーカス団には、さらって来た子供が使われているという噂は、ここから来ているのではないだろうか。
 
 あらゆる色で着飾っていたのは、音楽隊として目立つため(興行用の服装)だったのではないだろうか。
 この音楽隊がカルトで、笛吹き男(上佑)と妻(菊地直子)がオットー大帝夫妻だったのかも知れない。
 
 魔女がほうきに乗って夜集会をしていた、という伝説がある。
 これは、処理場の清掃員をしていたのが、隣町のブレーメンの音楽隊のカルト集団だったという意味なのではないだろうか。

 スコットランド

 スコットランドとは、イギリスの構成国である。スコットランドヤードというイギリス警察の名前で知られている。
 魔女狩りが起きて魔女を逮捕したり処刑するのは、警察の仕事であったと思われる。魔女狩りがイギリスで流行った理由については、このスコットランドヤードの中に、カール12世と同一人物の警視総監などがいて、現代と同じように、警察官を大勢殺害し、多数の警察官を支配していたか、指図する立場にあったものと思われる。
 イギリスの警察が真犯人の魔女の支配にあったため(怖がって言う通りにしていた)、イギリスで魔女の犠牲者が多かったと考えられる。

 フランス

 カール12世は、フランスの王室であるルイ王朝の大司教と関係があったものと思われる。ルイ5世の頃、乗馬をしていて突然死亡したルイ5世の後継者を決めるのに、お抱えの大司教神聖ローマ帝国を軸にしたヨーロッパ大連合を作るのに、適当な後継者を推薦し、その人物が次の王に選ばれたという。ルイ5世には、自分の息子などの後継者がいなかったこともある。
 その後、その政策が続いていたものと考えられ、ルイ王朝のお抱えの大司教の中に、カール12世がいて、カールは代々、ルイ王室の妻や愛人の世話をしていた。
 魔女狩りが流行った頃、ルイ14世からさかのぼり、15世紀から魔女狩りが起きたとすると、その頃のルイ王の妻や愛人の命令で、フランスに魔女狩りが起きたと考えられる。

魔女狩りの処刑者は全て冤罪だった
 
 魔女狩りで逮捕され処刑された人たちとは、いったいどんな人たちだったのだろう。
 普通に考えると、何かの犯罪を犯していたとか、殺人者やカルトである。しかし、殺害された人たちは、ある特定の人の犯罪のぬれぎぬを着せられて逮捕されたり処刑されたりしていたらしい。
 だから、一般の町人であるとか、農家の人であるとか、気のいいおばちゃんのような人もいただろう。
 魔女狩りを命令した人こそが魔女狩りの特徴的性質を持った人々であり、その数はわずかかある特定の一族のことだったに違いない。
 処刑の方法に水責めがあり、沼に突き落として殴るなどして、そのまま沈めば無罪、浮かんでくれば有罪という風に、死なないと審判が下されないばかりか、沈んだままでないと無罪にならないというような無理難題な理屈であったという。
 魔女の特徴を持った人々(カルトで一族)は、普通の人間こそ憎むべき対象であったので、処刑されたのは普通の人たちであった。
 何故、普通の人間を憎むかといえば、あまりにも人を殺しすぎた歴史や経緯があるために、普通の人とは違う体質を持っており、隣や近くにいると呪われる、などの理由であったと思われる。
 彼らカルト一族は、動物も大量に殺していて、動物を愛する人(ペットを飼う)なども魔女狩りの対象となったらしい。
 魔女狩りとは、今の言葉でいう冤罪事件であり、ヨーロッパ全土にわたり大勢の人が逮捕され裁判にかけられた人のほとんどがあらぬ罪で殺された大量冤罪事件といえる。
 この大量冤罪事件により、後世の人々の人格を形成するのに何らかの影響があったことも考えられる。

 魔女狩りのいきさつ

 魔女狩りは、ローマの異端児裁判が発端になっているという。
 キリスト教の中の異端児を裁いていた最中に何かが起きたと思われる。
 キリスト教の異端児は後のナポレオン(上佑)であると思われ、上佑は、裁判で自分がしていたことが明らかになることを避けようとして、裁判長を殺害してしまった。殺害者が裁判長になり、自分が異端であることを悟られないために、他の人を裁判にかけようとして魔女狩りが始まったのではないだろうか。

 現代の日本でも、大量の冤罪事件が起きている。