宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑮-4    坂本弁護士一家殺人事件

 上佑は何故大量のプルシャを発行していたか

 上佑は、坂本弁護士一家殺人事件の時、大量のプルシャを発行していたという。これは、この事件の後、大量の人がオウムに入信してくる、という予期からである。 
 オウムは、もともと、天皇を殺害して信者を増やそうという計画があった。坂本弁護士一家殺人事件が起きたのは、1989年11月4日である。1989年といえば、昭和天皇崩御した年である。
 この時、崩御したのは昭和天皇ではないという説があり、1月に死亡したのは、この直前に起きた女子高生コンクリート殺人事件の被害者の実の父親の明仁皇太子ではないかといわれている。この女子高生コンクリート殺人事件の犯人は、井上という信者や仲間のオウム幹部である。
 その10ヶ月後に、オウムが殺害した人物とは、明仁皇太子の親族である可能性もある。
 天皇家の一家が、神奈川県に住んでいたのだろうか。そして、共産党員の盗聴事件とどのような関係があるのだろうか。
 盗聴されていた共産党員とは、上佑で高橋克也に顔が似ている。明仁皇太子や女子高生コンクリート殺人で、天皇家がオウムの被害に遭っていたのは、麻原の腹心の上佑が首謀者でないか、という情報を神奈川県警が掴んでいたので、そのため、盗聴をしていた、という可能性もある。
 明仁皇太子には、何人かの兄弟や兄妹がいるが、常陸の宮はとうの昔に死亡しているらしい。残るは、妹たちだが、S津貴子、I田厚子などがいる。
 二人の妹は、一般人と結婚している。
 そのうち、S津貴子は、オウム幹部が扮している。I田厚子も別人で、夫の池田氏に扮しているのは、平田信である。このような場合、殺害されていたことが考えられるが、神奈川県にいて、該当のアパートに住んでいたかどうかはわからない。I田の場合も、アパートに住んでいたかどうかがわからない。天皇家から資産家に嫁に行った者が、神奈川県のアパートに住むというのはどうだろう。何のために資産家に嫁いだのだろう。
 
 しかし、よくよく考えてみると、坂本弁護士は、オウムの野田と同一人物で、殺されたのは、別の家族であるとすると、オウムが殺害した一家は、別の場所に住んでいて、11月4日にはすでに殺害されていた。しかし、その人物の死亡がバレると困るので、坂本弁護士を殺害したことにするための自作自演の殺人劇を行なったのが11月4日であると考えると、午前3時に家のカギが開いていた理由がわかってくる。この時の自作自演の殺人事件は、仲間の野田の家に6人の幹部が入っていったので、カギは開いていてもどちらでもいいが、手間を省くために開けていたのだろう。そして、わざと殺害した遺体を風呂場で解体しているかのように見せかけるために、風呂場の湯を聞こえるように流し続けたのだ。

 オウムは、もともと明仁皇太子の一族を昔からつきまとい殺害しているので(天皇陛下殺人事件参照)、1989年11月4日の時点で死亡していない明仁の家族は、貴子と厚子である。

 被害者はI田厚子の家族?

 S津貴子に扮しているのは、ひかりの輪の村岡達子である。I田厚子に扮しているのは、オウムの松本知子で石井久子である。
 坂本弁護士一家殺人で名前が出て来るのは、松本知子で石井久子である。
 池田家は、岡山藩主の元華族で、池田動物園を経営している。他に、家畜の改良なども行なっていたことがある。
 池田氏は、全日本卵価安定基金、鶏卵販売共同組合などの役員をしている。これは、口蹄疫事件で家畜や鶏の問題が出て来たりするのは、この家の家族が殺害され、オウムに乗っ取られていたからではないだろうか。
 口蹄疫事件では、平田信やオウムが農家に出入りしているといわれている。
 これらのことから坂本弁護士一家殺人事件の本当の被害者は、明仁皇太子の妹のI田厚子の家族という可能性がある。
 S津の方は、だいぶ昔に殺害されていた形跡がみられ、皇族なのに口の回りが早い、とか、派手である、といわれているのは、すでにニセモノが貴子をしていたからではないだろうか。
 
このI田厚子の家族の殺害により、明仁皇太子一家は全員が殺害された。
 上佑がプルシャを大量に発行していたのは、明仁皇太子の家族の殺害が完成したからである。