宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 107 皇族殺人はAの宮

 オウムはAの宮のための団体 
 
 野田はHの宮で、林はAの宮である。
 政権争いがもし、オウム事件を皮切りに起きていたとしたら、二人の皇族のどちらが上かをオウム内でしていたことになると思われる。
 そして、それは、Hの宮の身内を殺害することによって、Aの宮の権限を強力にしようとしたものである。
 Aの宮はオウム事件の頃から株を上げ始め、逆にHの宮は頼りない、などと主に警察から嫌われるようになっている。
 これは、オウムの事件でHの宮側の人々がたくさん死亡させられている点と一致する。
 オウムの事件では、Hの宮の身内が死亡している。
 その中でも最大の事件としては、仮谷さん拉致事件で、高橋克也が仮谷さんと間違えて殺害した、Hの宮と同一人物者の父の死である。
 この人物は、天皇陛下をしていた人物で、政治家としては、岸N介であると思われる。岸の親戚や家族は、ほとんど死亡している。
 岸N介という人物とS藤栄作は、実の兄弟であると思われ、S藤栄作は、明仁天皇と同一人物である。明仁天皇の兄弟の常陸の宮は、岸N介と同一人物ではないだろうか。
 しかし、明仁天皇が今は明仁天皇常陸の宮の一人二役をしているので、岸が死んだことがわからないでいる。

 
 高橋克也は、両親が同じのAの宮の兄弟である。
 オウムが高橋克也の意思で動くことが多いとすれば、オウムはAの宮の団体ということになる。
 それに対して野田は、被害に遭っているか、被害に遭うのを恐れて、自分も身内殺害に加担している。

 松本サリンは、長野県に住んでいた麻原が、首謀者の大内早苗から、住民を脅かし麻原に恩を売りつける、という動機で起こした事件だが、この後、大内早苗は皇居に向かい、自分の罪を暴かないよう、天皇に頼んだ(男女関係を結んだ)といわれる。
 しかし、このことが引き金となり、オウムの被害が皇族に及ぶようになったと思われる。
 ここでも大内早苗はAの宮の味方をしていたと思われ、皇族殺害事件は、Aの宮の即位のために起こされていると考えられる。

 Aの宮の妻のK子は、オウム信者(都澤和子?)であるといわれている。
 Aの宮K子と思われる人物は、M沢りえとして写真集を出していたが、この写真集の企画を出した人物がAの宮と同一人物のI井S里である。
 I井はAの宮として、M沢りえと結婚している。

 M沢りえは、松本知子と林の実の娘である可能性もある。都沢和子は、学校の成績が優秀だったといわれる。
 松本知子と林の娘の三人姉妹の中で、末っ子のR子(M沢りえ)という娘が成績が良くて、東大助教授と結婚している。
 林は、実の娘の写真集を出す企画を出したと考えられるが、当時は、まだ天皇に即位しようという野望がなかったと思われる。
 しかし、Aの宮とK子は、昭和天皇崩御の喪が明けないうちに結婚しており、このことは、皇室内でも問題になったと考えられるが、もし、昭和天皇の死もオウムの仕業であったとしたら、このような行動に出ても、表だって批判する者はいなかったと思われる。
 
 Aの宮は、オサマビン・ラディン師とも同一人物で、妻の誕生日は9月11日でもある。
 タリバンとオウムを警察がかばっているのは、警視庁の管轄がAの宮と同一人物の政治家のI原知事の東京都の管轄だからである。
 
 これらのことから、オウム事件を皮切りとした、テロ事件は、Aの宮の命令か意思によるものと考えられる。
 
 Aの宮は、明仁天皇の母の香淳皇后が倒れた時に病室から出る姿を目撃されていて、その直後に皇后は死亡したといわれている。
 
 宮内庁は、皇族の写真を捏造しているという説もあり、皇族がどのような顔をしていたかを隠すために、違う人物の写真とすりかえているとわれる。
 宮内庁は、Aの宮のオウムに脅され、そのようなことになっているのだろうか。

 オウムは、Aの宮(林郁夫)のための高橋克也の団体である可能性がある。オウムの実質的な指示者は高橋克也であるためだ。
 高橋はAの宮と両親が同じの兄弟である。
 高橋は731部隊の石井四郎と同一人物で、オウムとは元石井部隊の軍人たちである可能性がある。