宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-102    仮谷さん拉致事件のつづき Aの宮のためのオウム真理教

 オウムはAの宮のための団体 
 
 野田はHの宮で、林はAの宮である。
 政権争いがもし、オウム事件を皮切りに起きていたとしたら、二人の皇族のどちらが上かをオウム内でしていたことになると思われる。
 そして、それは、Hの宮の身内を殺害することによって、Aの宮の権限を強力にしようとしたものである。
 Aの宮はこの頃から株を上げ始め、逆にHの宮は頼りない、などと主に警察から嫌われるようになっている。
 これは、オウムの事件でHの宮側の人々がたくさん死亡させられている点と一致する。
 高橋克也は、両親が同じのAの宮の兄弟である。
 オウムが高橋克也の意思で動くことが多いとすれば、オウムはAの宮の団体ということになる。
 それに対して野田は、被害に遭っているか、被害に遭うのを恐れて、自分も身内殺害に加担している。

 松本サリンは、長野県に住んでいた麻原が、首謀者の大内早苗から、住民を脅かし麻原に恩を売りつける、という動機で起こした事件だが、この後、大内早苗は皇居に向かい、自分の罪を暴かないよう、天皇に頼んだ(男女関係を結んだ)といわれる。
 しかし、このことが引き金となり、オウムの被害が皇族に及ぶようになったと思われる。
 ここでも大内早苗はAの宮の味方をしていたと思われ、皇族殺害事件は、Aの宮の即位のために起こされていると考えられる。

 Aの宮の妻のK子は、都澤和子であると思われる。
 都沢は、M沢りえとして写真集を出していたが、この写真集の企画を出した人物がAの宮と同一人物のI井S里である。
 I井はAの宮として、M沢りえと結婚している。

 M沢りえは、松本知子と林の実の娘である可能性もある。都沢和子は、学校の成績が優秀だったといわれる。
 松本知子と林の娘の三人姉妹の中で、末っ子のR子という娘が成績が良くて、東大助教授と結婚している。
 林は、実の娘の写真集を出す企画を出したと考えられるが、当時は、まだ天皇に即位しようという野望がなかったと思われる。
 しかし、Aの宮とK子は、昭和天皇崩御の喪が明けないうちに結婚しており、このことは、皇室内でも問題になったと考えられるが、もし、昭和天皇の死もオウムの仕業であったとしたら、このような行動に出ても、表だって批判する者はいなかったと思われる。
 
 Hの宮がCIAの使い走りに

 仮谷さん拉致事件で、日本がGHQの支配下のような状態になっていたのは、次に天皇に即位するはずのHの宮の父親の天皇が殺害されたからではないだろうか。
 Aの宮はCIAである。
 CIAは、1995年11月30日を境に、Hの宮を操ることが出来ると踏んで、Hの宮に、Aの宮のための使い走りをさせていたのだ。
 Hの宮の妻の皇太子M子は、菊地直子と同一人物で、CIA長官も同然な軍のトップのRムズフェルド元長官の母親(Rムズフェルドの方が年下である)である。菊地は、夫のHの宮を操り、自分が女性天皇になろうと思い、
この計画を考えた。よく、皇太子M子はHの宮を出しぬこうとする、などといわれているのは、そのためである。
 菊地は父親の高橋克也に似て、戦略家であるらしい。
 Hの宮の父親の岸N介の遺体は、灰にされて江東区の下水道施設の煙突の下に埋められているものと思われる。
 岸は、近くのM運輸という会社で働いていた。この会社は、皇族なども働きに来る会社であることがわかっている。

 菊地直子に間違えられた女性とは

 菊地直子は、皇太子妃M子である。
 皇太子とM子は、1993年に結婚したが、お妃候補が20~30人程いたという。お妃候補から落選した女性たちは、今の皇太子妃に負けたとして、菊池直子の冤罪をかけられた可能性がある。
 外国で上品な感じの女性が拉致されたという事件は、この皇太子のお妃候補だった女性たちで、負けたために菊地直子に間違えられ拉致され行方不明になったものと考えられる。
 明仁天皇のお妃候補にE頭優美子さんという人がいたが、候補から落選している。この優美子さんという人の娘が皇太子妃M子であるという。しかし、優美子さんと皇太子妃M子が同一人物である可能性もあり、50年前の復讐を現在にしていることも考えられる。そのため、明仁天皇を殺害する計画を立てた。
 菊地に間違えられた女性の中には、Hの宮が「娘」と呼んでいた人も含まれている。Hの宮が「娘」と呼んでいたのは、親子仲の良くない生まれか、
何らかの都合でうまくいかなかった親子の娘である。そういう人は、素直な性格のいい子に育つとして、自分の地位のために利用していた。それを警察は、本当にHの宮(麻原の父親)の娘であるとして麻原の娘ではないかといって捜査をしていた。