砂浜にハマナスとオトメ?
葛西のなぎさの松の後ろには、草が生えており、ハマゴウとハマナス(トゲがある)である。ハマナスはM子さんのお印になっている植物である。
また、葛西臨海公園のなぎさは砂浜なので、アカエイが海岸に来て、アカエイのトゲに注意するように貼り紙がしてある。
アカエイは、砂に潜り海岸沿いや海中に生息している魚である。食用だが背中にトゲがあり、歩いていて踏んづけたりするとトゲに刺さる可能性がある。
アカエイの仲間にオトメエイというエイがいるが、全身ピンク色をしている。
砂に潜るオトメという状況が被害者に似ている。
松の間を歩くとトゲが刺さったように痛いのは、砂に潜っているオトメ(実際にはアカエイだが)が痛い(遺体)という意味だろうか。
海岸の海水は松から5~60m離れているが、砂の中に潜って生息する海の生物もいるので、アカエイや貝やザリガニなどが、遺体の頭部の一部を食べていた可能性もある。
松の近くの岩場に看板
松の近くに岩場があり、岩場の下は空洞になっている。危ないので岩を動かさないように、という看板がある。
空洞は遺体を遺棄できるぐらいの空間がある。
M子さんの遺体を遺棄したのは、この岩場だろうか。
葛西臨海公園のアベックを殺害していた犯人は、Hの宮である可能性もあるが、M子さんがHの宮にとって大切な存在であればあるほど、犯人に操られ、本当は自分の妻の遺体を発見できるかも知れないアベックを、犯人の命令に従わせられて、そうできないようにいいくるめられて、アベック殺害に加わっていることも考えられる。
静岡県熱海にある「お宮の松」
静岡県熱海市にお宮の松と呼ばれる木がある。
新聞の小説になっていた舞台で、寛一・お宮の物語である。
熱海のお宮の松のところで二人が別れ、お宮を寛一が下駄で蹴り飛ばしたとされる。
舞台となった場所に松の木が植えられたが、当初は「羽衣の松」と呼ばれていたが、作者の弟子が句碑を建て、「お宮の松」と呼ばれるようになった。
葛西臨海公園の松の木とは、寛一・お宮の松の状態に似ている。
同じ静岡県に三保の松原があり、三保の松原は砂浜に松の木林がある状態だが、葛西や熱海の松は、砂浜に松の木が生えている状態である。
迷宮入り事件や未解決事件のことを、京都では「お宮入り」とか「お宮さん」と呼んだりするが、お宮の松、という言い方は、「迷宮入り事件の松」のような意味にもとれる。
熱海とは直接関係はないとは思われるが、犯人は、熱海の松からヒントを得て、迷宮入り事件の松にしようとしたのではないだろうか。
松という木は、他の木のように皆一様ではなく、一本一本形が違うように育つ。
所有者など育てる人や環境により形を変えるので、犯人は、皇太子の妻となったO和田M子さんを殺害し松の木の下に頭部を埋めることにより、どのような松になるかを知りたかったのではないだろうか。
また、Hの宮の名前は、徳仁という名前であり、徳川家を連想させる。
徳川家康は、幼少時代の名前を竹千代といい、松竹梅の順位で松の方が上級であり、家康の敵は家康を松の木を使ってたしなめていたとも考えられる。
神社には松の木を植えることが多いが、徳川家康と神社の関係は実はあまり良くなかったのではないだろうか。
京都では、お宮とは、神社のことをいう。
神社の松とは、家康や徳川家を本当は良く思っていなかったものの組み合せであると考えられる。
一方、犯人は、松の木と縁があり、武田信玄のような徳川家と対立していた家系だとすると、家康が失敗していた度に松の木を植えるなどして形に残していたのではないだろうか。
アベック襲撃の犯人がM子さん殺害の犯人
葛西臨海公園のアベック襲撃犯は、歩いているアベックに「おい、教えろ」と言って近づいて来るという。
これは、M子さんの遺体の一部が埋められている松や砂浜で、男女の強弱関係が変わって来るところから、男女(主に男)が不審に思い、何故ここで?などと思いをめぐらすうちに、犯人が松や砂浜のところに何かがあるのではないか、とアベックが気づいたかどうかを知るために「おい、教えろ」と言って近づくのである。
犯人は狡猾な男で、「おい、教えろ」の意味の中に、アベックの方は「この人もそういうことがわからずに悩んでいて職もなくそれで金をせびってくるのだろう」と考えるが、一方で犯人の方は「あの場所にM子さんの遺体があることがわかったのか、もしわかったのなら殺そう」という、二つの意味に取れる言葉を言い、アベックに近づいている。
犯人は、アベックに思いをめぐらせてどうなのか、殺人のことがわかったのかを聞くためにアベックを襲撃しているものと思われる。