宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 119

 樺美智子がデモに参加した理由

 明仁皇太子の父親は、昭和天皇である。しかし、この昭和天皇は、政治家の岸信介と同一人物であると思われる。岸信介は、新安保条約締結当時の首相であった。
 樺美智子が正田美智子と同一人物であるとすると、樺美智子の行動は、すでに皇太子の恋人としての行動だったことが考えられる。
 岸は、新安保条約(1960年)の締結に際し、暴力団や右翼が反対するので、暴力団の親玉の児玉誉志夫(文鮮明)に力を借りるために、中国で逮捕されていた文鮮明の釈放嘆願書に署名をしている。しかし、この文鮮明を助けるということが、日本にとって何のメリットもなく、戦後のアメリカの支配を強化すると同じことであり、岸にとっても何のためにもならないことだった(この時のアメリカはどうしようもない状態で、それは中国・台湾戦争に台湾が破れていたためであることが考えられ、天皇家にとって安保条約など結ぶ必要もなかった。)。正田美智子は、この岸のことがすでにわかるようになっていたと思われ、そのために国会前のデモに参加していたと考えられる。自分がデモに行くことによって、何かが変わるかも知れないと考えたからだ。
 つまり、これは、恋人の明仁皇太子のお父さん(昭和天皇)のための行動であったことが考えられる。
 しかし、そのデモの参加中に、警察隊によって圧死させられたわけだが、この警察隊というのも、本当に警察隊だったのかどうかもわからない。

 樺美智子で正田美智子は、皇太子との結婚を森順子に邪魔されていた。森順子とは、ニセの皇太子妃になった人物である。森順子は、文鮮明マッカーサーの母親である。
 文鮮明マッカーサーが、中国で逮捕されていたのは、中国と台湾との戦争に中国が勝っていたためであると思われる(文は、中国で戦犯となった愛新覚羅溥儀と同一人物)。
 そして、そのことによって出てきたのが、正田美智子であると思われる。
 このような時期に天皇家と正田美智子が結婚されるとアメリカにとって都合が悪くなってくる。そこで、森順子を使って結婚を台無しにしようと思ったのだ。
 正田美智子は、森順子の妨害により、一族が大変なことになっていた。そのことがあり、国会前のデモに樺美智子という名前を使って参加していたのだろう。

 樺美智子を圧死させた警察隊とは、赤軍派かCIAか公安であると思われる。
 いずれにしても、アメリカの情勢を有利にしようと思って行った謀略であると考えられる。

 時代はさらに遡るが、昭和天皇の前の大正天皇の妃も、森順子や菊池直子と同一人物者である。
 大正天皇の妃選びにも同じようなことが起こっていたと思われる。
 大正天皇の時代は、皇后のゆかりの日蓮宗が政治を行っていたといわれる。これは、宗教を通して皇后の支配が日本国にあったということでもあるが、皇后が森順子や菊池直子と同一人物者のアメリカ政界の母親だったというわけだ。
 この時も、大正天皇は中国と関係があったにも関わらず、アメリカの謀略により妃が殺害されていたために、アメリカの干渉が強かったと思われ、大正時代は15年という短い時代で終わっている。

 正田美智子さんは、松本サリン事件で死亡したK野義行氏の妻といわれるK野澄子さんである可能性がある。
 O和田M子さんの前年の1995年に死亡している。死亡していたことを隠すために、病院に他の者を入院させたか、病院ごとグルになり、K野さんの妻が入院していることにさせていた。
 K野澄子さんの遺体は、どこかに運ばれた。
 
 この時期、トイレの花子さんという怪談が流行ったことから、どこかのトイレである可能性もある。
 O和田M子さんの遺体は、秋田か青森の県境にある白神山地西目屋村という村に運ばれた可能性があり、母親か姉であると考えられているK野澄子さんもこの近くである可能性がある。

 秋田県能代市に、風の松原という海岸のマツ林があり、この風の松原に案内所があり(サン・ウッド能代)、この施設のトイレの男子トイレの陶器の中であることが考えられる。
 風の松原の案内図にはトイレの表示がない、と地元や散策者の間で不便だという声があり、この案内図を製作したのがサン・ウッドであるとすると、
何かを隠しているために、わかりづらい案内図になっているためだと思われるからである。