宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-173    仮谷さん拉致事件のつづき


 どんなに文化が発展しようが、便利な生活になろうが、それはいつまでも変わらない。
 先が見えている同じ人類の歴史をこのまま続けて意味があるのだろうか。
 キリスト教一族が滅びて真の平等がやってくる日は来ないのだろうか。
 

 杉沢村の跡地?

 杉沢村とは、青森県南部町、浪岡町、三戸町にあった村のことを言うらしい。2006年に福地という地名があり、福地は、南部町に名前が変更になった
ため、福地村は消滅している。
 このあたりの村は、そのような村がまだあるかも知れない。杉沢村もそのひとつなのだろうか。
 しかし、小学校や中学校では杉沢の名前は残されている。今でも杉沢のつく小中学校は現存している。
 この杉沢小学校や杉沢中学校の脇を通る国道をはさんだ向かいに、赤石や名川という地名がある。
 名川はさくらんぼで有名だが、このあたりにC村という娯楽施設がある。
 キャンプ場やアスレチック場、テニスコート、ゴルフ場などがあり、ふたつのタワーがある。
 ゴルフ場の隣には、研修場がある。
 杉沢中学校の近くには、研修場がいくつかあり、公共施設だが、何の研修場だかはわからない。村人の利用する集会場のようなイメージかも知れない。C村の施設の中にも、研修場が存在している。
 C村が出来たのは、1996年の初夏であり、地下鉄サリン事件の起きた2ヶ月後ぐらいである。
 しかし、このあたりに何故このような施設が出来るのかも疑問といえば疑問である。特に名所のような場所が見当たらないためだ。
 もしかすると、C村は、忌まわしい昔の事件を隠すために業者が開発した施設かも知れない。
 その忌まわしい事件が「杉沢村伝説」の杉沢村事件なのかも知れない。

 津山30人殺しから推察すると、名前だけ皇太子の妻となっていた正田美智子さんや家族、親戚、友人などが隠れて住んでいたのを何者かが見つけ、村人を皆殺しし、この地に遺棄した。そして、何年か後に、殺人者が業者になり、痕跡を隠すためにC村を作った、などが考えられる。

 杉沢村伝説

 杉沢村伝説のある場所は、近くの地域だが、C村とは別の場所である。
 この伝説のある場所は、浪岡町という場所で、入り口に鳥居があり、岩があり、そこを進むと墓地があり、その奥が村であったといわれる。
 やはり、一度にたくさんの人が殺害されたのは、噂のあるこの辺りのことだろうか。
 また、この場所とは少し離れた浪岡ダムというダムのある場所の近くに廃墟があり、あるいは、ダムの中に町が沈んでいるなどという噂がある。
 しかし、1986年8月に東北地方に台風10号によって災害が発生し、浪岡ダムの周囲にあった住宅などが水害によりダムに沈んだことが考えられる。さらに、近くの廃墟は、床上浸水などで住居に水がおしよせたために、人が住めなくなり、住民が引越し、そのせいで廃墟になっていた可能性がある。
 
 しかし、杉沢村伝説のある場所と、浪岡ダムの周囲の廃墟とは、少し様子が違うようであり、有名な入り口を通って奥に杉沢村があったという場所は、やはり、何かの事件があり、たまに人が出入りしていると思われるフシもあるようである。

 研修場は、障害者(精神病患者)の施設だった?

 C村と関係のある機関に、K増進公社というところがあり、ここの代表者の名前が、杉沢村があったとされる新しい町の町長などをしている人物の苗字と同じである。
 駅はC村からひとつかふたつ離れているが、K増進公社は医療機関である。
 一方、東北地方には、障害者(精神病患者)を更生させるための施設が多くあり、オウムは、実刑が下らないように、精神病院を利用していたフシがある。ただ施設に通ったり入院するのではなく、自分たちが経営者側となる方法を選んだ可能性があり、K増進公社のような医療機関で働いていた可能性がある。公社という言い方は、フランスでよく使用されている。
 さらに、都内でオウムにより親などを殺された人たちが、東北に呼ばれてこのような施設に入院していたことが考えられ、看護婦や医師やワーカーなどのオウムの指示で外に出たり、課外活動をしていた。あるいは、杉沢村に多くある研修場などに宿泊していたことが考えられる。
 ここで、オウムの正体に気づいた者が殺されたり、杉沢村の奥で地下などに穴を掘り隠れていた者を銃殺していた可能性もある。
 これは、オウム事件が問題となり、連日報道されていた1996年頃のことである。