宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-174    仮谷さん拉致事件のつづき 杉沢村で何が起こったか


 杉沢村と同じ八甲田山に、銅像茶屋というおでんで有名なドライブインがある。
 このドライブインの男子トイレに、正田さんが遺棄されているという。
 銅像茶屋とは、明治35年に雪中行軍で凍死した第五連隊の中で生き残った後藤伍長が仮死状態となって発見された場所に、後藤伍長の銅像を建てたものである。
 210人のうち、199人が凍死したこの演習では、陰謀説が見え隠れする。
 この雪中行軍の凍死遭難事件を聞いたノルウェー国王が、お見舞いとしてスキー2台を明治天皇に贈っている。
 

 杉沢村に移り住んでいた正田美智子さんの家族

 1995年に松本サリン事件で被害に遭ったK野義行氏の妻の澄子さんは、地元のK立病院に入院していたが、その後、八戸にあるK荘に入院していた。 K荘は、障害者更生施設だったが、入院患者は、精神病患者で、半ば刑務所のようなところだったので、ある日逃げ出し、杉沢村に移り住んでいた。
 そして、親戚や友人なども後から来て、一緒に住んでいた。
 しかし、住んでいた場所をオウムに発見されたため、地下に穴を掘って隠れていたが、そのことも見つかり、全員その場で銃殺されてしまった。
 その数は、50人ぐらいだったともいう。
 その事件があり、オウムはこの場所に行き来住むようになり、1996年にはC村(さくらんぼのような名前の娯楽施設)が出来、オウム幹部が土日に通ってくる場所となった。
 50人の中に官僚の姿もあった。
 K野澄子さんは、O和田M子さんの姉か母であり、正田美智子さんと同一人物であったためだ。
 
 K荘を抜け出したK野澄子さんが行った場所は、杉沢村と呼ばれる場所のすぐ近くのC村が建設途中であったか計画されていた名川村にあるH光寺という寺であると思われる。
 この寺は、今から数百年前に、北条時頼が、あまりの素晴らしい景色に見とれて帰りが遅くなり、一日だけ宿泊させてもらったが、寺の和尚に親切にしてもらったことを忘れずにいて、寺に恩返しをしたことで知られている。
 K野さんは、この寺に事情を話したかして、泊まらせてもらい、親戚なども来るようになった。
 近くには、日本の名松百選になった千本松並木があり、県の天然記念物もあった。