宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 30-14    高島平殺人事件のつづき

 犯行の翌日高島平の調査に麻原がいた

 大久保氏を高島平のアパートで殺害し、旅行用トランクに入れ、遺棄現場まで運んだ後の翌日に、アパート近くで市ヶ谷のシーTーという調査会社(国土交通省の仕事)が、犯行現場の近くで交通量調査を行った。この調査は、事前に調査員を求人誌などで集め、事前説明があった後、バスに乗り現地まで行くというものである。しかし、現地集合する調査員もいた。
 高島平1丁目周辺の調査員の中に、調査当日麻原彰晃(タレントのS城秀樹)の姿もあった。さらに、春日部の三原(麻原彰晃の親玉の野田成人で後藤忠政)と名乗る男もいた。
 三原は、昨日、この辺りで殺人事件があった、などと言っていたが、この時、発表されていない情報を三原が知っていた。調査地周辺に、ピンク色のワゴンカーが駐車していたという。この車で、大久保氏の遺体を運んだのだろうか。
 犯人らは、大久保氏を殺害した後、仕事で殺害現場周辺に調査のために丸一日滞在することが出来、警察の動きを見張ることも出来たはずである。

 市ヶ谷の調査会社シーTーは、時々、国土交通省などから交通量の調査の依頼を受け、10~100人、あるいは300人ほどの人数を求人誌などで集め、現地で交通量などの調査を行う会社である。こういう調査の場合、雇われた人は、日雇い労働者と同じように、一日あるいは二日の契約で、仕事が終わった後に給与を受け取る仕組みである。
 シーTーは、今では、オウムの幹部が会社の経営者となっているようだ。 野田成人や松本知子が幹部や従業員である。
 調査の仕事が入ると会社に出勤し、準備などをするが、調査の仕事が入らない閑散期などには、会社には誰もいない。

 犯人は、その後テレビ出演していた

 高島平署は、事件後、不審者として麻原彰晃でS城秀樹を取り締まっていたが、S城ががテレビに出演するということになり、事実上、テレビ局の圧力でS城秀樹を釈放してしまった。
 この時、何故テレビ局がS城秀樹を釈放させるためにテレビ局での仕事を作ったのか不明である。
 テレビ局は、日本テレビだが、西城秀樹が出演したテレビ番組とは、ワイドショーなどで、西城が病気にかかったという類の取材ものであると思われる。
 このテレビ番組に出演させるために、テレビ局から圧力がかけられた。
 この事件の後、大宮駅で事故が起こり、天皇が出演したというビデオが撮影されている。
 この二つの事件(大宮事件と天皇のビデオ事件)は、オウムが首謀している。
 天皇のビデオ問題とは、天皇が女性に暴力を加え、殺害しているシーンをビデオに撮影した者がいて、高島平事件のことがバレたら、このビデオを公表すると天皇を脅していたという事件である。
 アメリカは、このことを知り、「どうせ日本のことだから、天皇をかばうために高島平事件のことは捜査しなくなるだろう、だったら戦争だ」と思ったといわれる。
 もし、テレビ局が麻原を釈放するようにはたらきかけなかったら、大宮駅の事故やビデオ事件はなかったはずである。
 しかも、被害者は警察官で、エリートコースに乗っていた警察官僚をめざしていた人物であるが、女優のK木瞳(野田の娘)が写真集を出版したのは、大久保氏が逮捕した誰それのためだ、などと脅迫し、エリートコースを踏み外すよう、わざと写真集のことを出し、麹町警察署で働く大久保氏を辞職させている。 
 麹町警察署に勤務していた大久保氏を脅迫しに来たのは、女優のK木瞳と写真家のS山紀信(高橋克也と同一人物)である。
 S山が警察署に来たことに大久保氏は驚いた。
 S山紀信と日本テレビ読売新聞社の会長のW辺恒夫とは、同一人物か同じオウム信者か親族である可能性もある。