宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件  126

 天皇殺害

 年代は前後するが、1994年11月30日に、兵庫県朝来町にある障害者病院で、明仁天皇が殺害された。
 麻酔注射を赤軍派に打たれ、生きたまま解剖され死亡した。
 その後、1.5ヶ月後に、阪神淡路大震災が起こされた。
 原発の非常停止ボタン操作した、地震テロによるものと考えられる。
 非常停止ボタンを押したり復活させたりすることにより、その反動を地中に起こし、地震を起こすテロであると考えられる。
 殺害された兵庫県朝来にある医療センターの近くの神戸市か淡路島などに埋められている可能性もある。

 この説についても、新たな情報がある。
 兵庫県朝来市で病院に入院していた天皇の名前は、高梨信二か高梨信介であると思われる。この名前を名乗っていた人物が、幹部から「天皇陛下」と呼ばれていたからである。
 高梨という名前の人物は、岩手県に住んでいて、交際相手の女性(お妃候補?)がそこでたくさん殺害されているという。
 
 明仁天皇正田英三郎で仮谷氏だった

 1988~1989年に起きた女子高生コンクリート殺人事件の被害者は、昭和天皇の娘で、だから数日後に昭和天皇崩御した、という説がある。
 しかし、昭和天皇と同一人物の蒋介石が生きているところから、昭和天皇の息子を殺害して昭和天皇崩御させた、という。
 この息子というのが明仁皇太子で、女子高生コンクリート殺人事件の被害者がNの宮であるとすると、明仁皇太子の子は、この時で全員死亡したことになる。だから、昭和天皇崩御したことにして、子を全員殺害された明仁皇太子を殺害し、別の人物が明仁天皇として即位した、というのだ。
 この時、即位した人物は、弟の常陸の宮であると思われがちだが、常陸の宮ではなく、明仁皇太子の妻の父親、つまり、正田英三郎明仁皇太子として即位した。
 正田英三郎は、経済人としても有名な人物の名前を多数持っていて、その中の一人に麻生財閥のA生太郎がいる。
 現在、A生太郎をしている人物とは別人で、本物のA生太郎で正田英三郎は、仮谷拉致事件の仮谷氏として殺害されたと考えられる。
 1994年6月に、松本サリン事件で正田美智子と思われる河野澄子がサリンの被害に遭い、父親の英三郎で仮谷氏が、1994年11月30日か9月(9月であるという説が浮上している)に殺害され、そのせいで阪神淡路大震災が起き、警察が怪しみ捜査を開始したが、正田英三郎明仁天皇をしていた人物が殺害されたことがわかるとオウムが大変なことになるので、オウムは、1995年2月28日に、いかにもこの日か翌日に仮谷氏が殺害されたかのように見せかけるための自作自演の拉致事件を計画した。
 この自作自演の拉致事件により、仮谷氏の死亡や死亡日時が隠されてしまい、事件は未解決となった。
 
 1994年から、正田英三郎になりすましていた人物は、オウムの幹部である。
 兵庫県の朝来医療センターに入院していたのは、明仁天皇をしていた正田英三郎か医師で、高梨と名乗っていたと思われる。
 女子高生コンクリート殺人事件の後、まだ生きていた明仁皇太子が、様子を見に足立区の殺害現場に行き、「何をしている」と犯人に言いに行ったが、あまりにも凄惨な遺体の様子に明仁天皇はショックを受け、そのまま皇居に帰ったが、犯人の一人に殺害されたという。
 この時、殺害された明仁皇太子が持っていた名前が高梨という名前だった可能性もある。
 
 これまでのところで、

 1989年1月・・・・・Nの宮
 1989年1月・・・・・明仁皇太子

 が死亡していた。

 Aの宮殺害

 1976年頃、Aの宮が大阪のだんじり祭り会場で殺害された。
 Aの宮は、正田英三郎宮司をしていた長柄神社の息子として育っていたが、何かの都合で赤軍派に発見され、殺害された。
 この時、明仁皇太子は、その情報をキャッチし、東京駅から大阪まで新幹線で向かった。
 しかし、途中の新橋駅近くの街中で、人が銃撃されていた。
 この銃撃された人物とは、皇族で、Aの宮の実の父親ではないかと考えられる。
 Aの宮は、1989年頃は、高松の宮の息子として紹介されていたが、近年になり、明仁天皇の息子という紹介に変わっている。
 そのため、この時、新橋駅で銃撃されたのは、高松宮である可能性がある。
 Aの宮の遺体と高松宮の遺体は、当時建設中だった、台場と大井を結ぶ、東京湾トンネル13号の排気溝のコンクリに埋められたのではないかと考えられる。
 このトンネルは、東京湾震源地であるという噂があるためである。

 これまでのところで、

 1976年5月・・・・・Aの宮
 1976年5月・・・・・高松宮

 が死亡していた。