宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件    125

 明仁天皇の息子・娘殺害
 
 ・1967~8年頃→Hの宮殺害(文京区のラジオ体操会場で殺害)
 ・1976~1976年頃→Aの宮殺害(大阪のだんじり祭り会場で殺害、大阪岸和田に住む野球選手のK原和博は、常陸の宮と同一人物)
 ・1978年頃→Nの宮殺害(北とイギリスの娘のNの宮をイギリスから拉致して、江東区の路上で殺害しマンホールに遺棄)

 正田美智子(宮本信子)殺害

 さらに、正田美智子は、1994年松本サリン事件の被害者となり(河野澄子)、植物人間になったことにされたが、実際には、障害者施設に入退院をし生活していた。しかし、亀のつく公園のトイレ内で暴行死させられた。
 亀のつく公園とは
 ・江東区亀戸にある香取神社のトイレ内
 ・秋田県の風の松原のサンウッド内のトイレで発見され、八甲田山の後藤伍長の銅像茶屋というPAのトイレ内に埋められた
 説がある。
 この後、正田美智子を知る同級生、友人、親戚なども呼び出され、殺害された。
 しかし、美智子殺害の新たな情報がある。
 1999年9月に、江東区亀戸6丁目のマンションで、女性が殺害される事件が起きた。この時の被害者の吉田陽子という漫画家の顔が、正田美智子に似ている。似ているというのは、本人の顔と同じであるという位似ている。
 正田美智子が亀戸のトイレで暴行死した、というのは、この事件である可能性がある。
 被害者は、ベットでTシャツを着ただけの姿で発見されている。
 このことから、前夜、男が部屋を訪ね、被害者がTシャツを着ただけの姿でトイレに入り、一緒にいた男がトイレ内で被害者を絞殺した。そして、遺体をベットに運んで逃げた、という推測ができる。
 体には、複数の暴行痕がみられたという説があるが、正田美智子は、オウムの上佑と夫婦であったが、殺すつもりの夫婦だった関係であるとすると、
松本サリン事件で、正田美智子によく似た河野澄子がサリンを浴びたのは、夫の河野義行で上佑にサリンを浴びせられたから、ということになる。
 長野県の病院に入退院を繰り返していたが、亀戸のマンションに住んでいるところに、上佑がやって来て、上記のように殺害したとすると、上佑が殺害した後、上佑の犯行がバレると困るために、他のオウム仲間複数人が、死亡している被害者の遺体に暴行を与え、主犯の犯行をかばう行為をしていたとすると、遺体に暴行痕があったことの説明がつく。
 「正田美智子は亀戸天神か公園のトイレ内で暴行死させられた」という説の「亀戸天神、亀戸公園」の部分は、実際には、亀戸天神や亀戸公園ではないが、犯行現場の亀戸6丁目には、亀戸中央公園があり、この公園のトイレ内で、捜査をしていた警察官が自殺をした、という噂があり、「亀戸公園の近くのマンションのトイレ内」ということになる。
 この事件は、管轄の警察署が城東警察署だが、城東警察署の捜査員が、正田美智子の事件を捜査していたが、わからなかったので、殺害されていたと思われ、正田美智子の死に関する情報と、何故警察官が死んでいたのか、という両方の説明がつく。
 
 小和田雅子(河合奈保子)殺害

 小和田雅子は、オウム信者赤軍派ではなかったが、何も知らずにニセのHの宮に嫁ぎ、1995年3月20日地下鉄サリン事件の被害者となった。
 当該電車に乗っていたが、その時は助かったが、その後、八丁堀にある上佑のマンションで、入浴中に意識不明となり死亡した。
 浴槽の湯の中に、劇薬物が入れられていた可能性がある。その後、(涼しい)「いけす」車両で、広尾にある中国大使館で蘇生を試みたが、生き帰らず、死亡した。
 死亡後、すぐ近くの愛育病院で遺体を解体された。
 (愛育病院は、Aの宮紀子(赤軍派)のご用達病院である。
 この後、小和田雅子の友人などが、中国大使館に呼び出され、Aの宮紀子である、という声と共に銃殺され、中庭に埋められた?)