宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-348    仮谷さん拉致事件のつづき 明仁天皇も殺害されていた

 1997年7月にも人が死んでいる

 しかし、1997年7月にも、皇居で人が死んでいる。
 この人物は、皇居で殺された後、遺体をビニール袋に入れられて、数十枚の一万円札と一緒にゴミに出されている。
 この時殺害された人物は、女性のような悲鳴を出す男で、皇居に住んでいた天皇の兄弟の宮内庁の職員、であるという説がある。
 しかし、キャーという悲鳴を出していたのは、明仁天皇の特徴であり、皇居に住んでいた。
 この人物は、「あーヒマだ」と言った瞬間に後ろから頭を殴られており、その後、数人のオウム信者によって遺体を解体され、一部をオウム(皇族オウム他)が食べたという。
 この人物は、明仁天皇なのではないだろうか。

 仮谷さんの息子とは、明仁天皇だったが、捜査の途中で皇居で殺害され、現在天皇をしている人物が替え玉をしている、ということが考えられる。

 誰もが一度は、ゴミ収集車が気になったことがあるだろう。
 その理由は、明仁天皇の遺体をビニール袋に入れてゴミに出して、ゴミ収集車が清掃局まで運んでいたからである(都心のゴミが集められる夢の島清掃局が、もし、オウムに乗っ取られていたとしたら、被害者の遺体の焼却に、清掃局を使っていたことも考えられる)。

 ・1994年6月・・・・・・・松本サリン事件で河野澄子が夫の河野義行サリンを浴びせられサリン中毒の被害者となる
 ・1994年11月30日頃・・・仮谷氏で正田英三郎死亡
 ・1995年3月21日頃・・・・O和田雅子死亡
 ・1997年7月・・・・・・・明仁天皇死亡
 ・1999年9月・・・・・・・河野澄子で正田美智子死亡

 皇族連続殺人の原因は松本サリン事件

 ということになる。
 正田美智子は、河野澄子と同一人物だったが、この時、夫のK野義行(上佑史裕)が、薬品を所持していたことで逮捕された。しかし、テレビ局が急にK野無罪説を出したために、K野義行は冤罪をかけられたとして、釈放され、裁判で無罪になっている。
 この時、K野がシロだと結論づけた理由は何だったのだろう。
 確か、薬品の入手先(古河電K)が特定出来ないとか、そのような理由だったはずだ。
 これはまるでとってつけたような釈放理由であり、捜査を途中で放棄していたようなものだ。
 第一、これではテレビ局もグルだと思われても仕方がない。捜査が煮詰まっていたところで、急に言いだしっぺのテレビ側が今度はK野を無罪だと言い出して、捜査をメチャクチャにしている。
 K野無罪説を最初に出したテレビ関係者がオウムであるとしか言いようがない。

 松本サリン事件の首謀者は、大内早苗(菊池直子→K嶋紀子)である。

 K嶋紀子が石井久子 皇族の人間関係が動機?

 K嶋紀子がAの宮と婚約したのが1988年頃。婚約中に、昭和天皇崩御し、Aの宮夫妻は、昭和天皇の喪が明けないままに結婚式を行なった。
 婚約したのが1988年ということは、女子高生コンクリート殺人事件の時には皇居にいたはずである。

 K嶋紀子は悪魔

 K嶋紀子が皇居に入ってきてからというもの、皇族は災難続きであった。
 女子高生コンクリート殺人の被害者の紀の宮が死亡し、昭和天皇崩御している。さらに、正田英三郎明仁天皇、小和田雅子、正田美智子と続く。
 嫁と姑女や姑問題があるが、動機はこれではないだろうか。
 嫁として入った家の人とうまくいかず、もともと家にいた人たちを殺して全部仲間うちにしなければ気が済まなかったのだ。
 あるいは、もともと復讐をするつもりで嫁となったことも考えられる。

 K嶋紀子の復讐とは

 K嶋は婚約する時に「復讐をしたい」と宮内庁に言っていた。
 和歌山の家の人を殺した人に復讐する、という意味である。
 和歌山の一家というのが、チッソの江頭家のことだが、現在の江頭はニセモノで、現在の江頭の前は、正田英三郎と美智子がチッソの会長だった。
 K嶋の意図は、K嶋は現在の江頭に属していることから、オウムが熊本出身者が多く、麻原も肝臓病が持病であることから、和歌山の家の復讐、とは、チッソに対する復讐ということで、正田家への復讐だったということになる。
 このことにより、オウムが一丸となって、正田や正田を家族にしている天皇家の人々を殺し、オウムによる正田家への復讐をした、ということだ。
 チッソの発電機はGE社製で(Sーメンス)、発電機を使用することにより水銀が海に流出する。
 正田家は、このことを知らずにチッソの一族を殺害して江頭になりすましたが、チッソ(GE社のグループ企業であると思われる)との相性が悪く、水銀のことが表沙汰になる結果となり(1960年代)、退散した。そこへ新しい江頭がやってきて、これが江頭優美子(美智子皇后の替え玉)である。もともとの優美子は正田美智子で、その娘が小和田雅子だった。