上野博物館の「人体の不思議展」
1995年に、上野博物館で「人体の不思議」という展示が開催された。
この展示は、ホルマリン漬けになっている人体の生々しい標本が展示されていた。この標本に展示されているヒトの標本の主は、囚人であるという。
しかし、脳のホルマリン漬けの標本もあり、その標本の主は、作家の夏目漱石であるというのが呼び物でもあった。
しかし、夏目漱石が活躍していたのは、明治時代であると思われ、その古い標本にしては、脳のホルマリン漬けは明治時代のレトロ感は見当たらず、かなり新しいものであるように見えた。
夏目漱石の写真を調べてみると、高橋克也に似ているが、高橋克也は今現在でも生きているのは、指名手配書でわかる。すると、この夏目漱石であると銘打っている脳の標本の主は、もしかすると、仮谷氏のものである可能性もある。仮谷氏が夏目漱石と同一人物なのだろうか。
仮谷氏が死亡したのは、1994年、遅くとも1995年3月である。数ヶ月前に死亡したヒトの脳をホルマリン漬けして展示してあるとすれば、そう古くは見えなかった理由もわかる。
さらに、人体のホルマリン漬けに関しても、誰のものであるかはわからないが(秩父セメントの従業員?)もし、仮谷氏のものであるとしたら、このような点から考えて、これは死後も衆知にさらそうとした高橋らの復讐であると考えることが出来る。
平成がパッとしないのは、天皇が仮谷氏の息子だから
明仁天皇は、仮谷氏の息子のM氏である。
仮谷拉致事件が解決しないと、明仁天皇の平成の時代は、オウムの高橋、松本らの昭和天皇の子による「仮谷氏への復讐の時代」という風にこのままではなってしまうだろう。
仮谷氏への復讐は、仮谷氏殺害の後、正田美智子へ波及している。
このことにより、昭和の時代を支えて来た人々が憂き目をみているが、そうかといって若い人たちが元気かといえばそれも違う。
若い人たちは若い人たちで、オウムの汚名を着せられて生活苦にあえいでいる。
勝ち組と負け組という言葉があるが、勝ち組とはオウムや今ごろになっての昭和天皇一族で、負け組というのは、民間パワーのことである。
地球温暖化 仮谷拉致事件の陰の支配者が太陽の研究者だった
仮谷氏であると思われるM井氏が経営していた秩父鉄道の本社が、埼玉県熊谷市にある。熊谷市といえば、夏に最高気温を記録するなど、特に夏に暑い地域である。
実は、仮谷氏が死亡したと思われる1994年に、日本の関東地方で夏に39度台の暑さを記録していた。
日本の夏は、前年まで冷暑だったが、翌年の1994年にうって変わって猛暑となっている。
仮谷拉致事件と温暖化の関係を調べたところ、意外なことがわかった。しかし、温暖化は日本だけの問題ではなく世界的に温暖化が指摘されているため、この事件が、と特定することはできないが、その人物が世界的に名前を変えて様々な事件を起こしているとすると、それが原因となっていることも考えられる。
仮谷拉致事件の首謀者は高橋克也と松本知子であると思われるが、二人には影の支配者がいる。さらに、仮谷氏が死亡するきっかけとなった、秩父セメントのO野田セメントとの合併で、O野田セメントの社長か会長だった人物が、高橋と松本の影の支配者である。
この人物とは、上裕史浩でH山由紀夫だが、この人物は、太陽の研究者であるという。
夏の暑さは、太陽が地上に当たる日照時間が長いために、気温が上がると考えられるが、太陽のパワーを強めるためには、太陽の研究者が好調の波に乗っていることが必要であると思われるが、1994年頃の夏、太陽の研究者は、仮谷氏の会社を乗っ取ったのだ。
これは、この人物の悲願だったに違いなく、このことにより他の全てのことがスムーズに進むようになったのだろう。
この人物は、諸説あるが、オサマビン・ラディン師やサイフ・アルアデルといったタリバンの幹部の実の父親でもある。