宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-314    仮谷さん拉致事件のつづき 仮谷氏の妹

 仮谷拉致事件の仮谷氏の妹とは

 仮谷拉致事件の仮谷氏の息子のM氏と妹がいる。
 Mは、常陸の宮の変装であることがわかっている。妹は、I田A子(順宮A子)であることがわかった。
 順宮A子が仮谷氏の妹であるということは、仮谷氏は明仁天皇である可能性が高くなる。
 I田A子らオウムは、女優のK木瞳やM原じゅん子と同一人物で、高島平事件でエリート警察官僚を騙して借金させ、辞職に追い込み殺害した。
 仮谷拉致事件で妹は、在家信者だったという。
 仮谷氏の居所を妹に聞いた麻原は、妹に逃げられたが、仮谷氏を品川区の路上で拉致することに成功したという。
 しかし、明仁天皇は1994年11月30日に兵庫県朝来市の梁瀬(やなせ)病院で麻酔を打たれた後に、解剖死したという説があり、1995年2月に起きた仮谷拉致事件はその後である。
 1994年11月30日に死亡した人間が、1995年2月に拉致される、というのはおかしいといえる。
 この場合、1994年11月30日に死んでいないか、明仁天皇と仮谷氏は別人、ということになる。
 あるいは、1994年11月30日に死亡したのが明仁天皇だが、その後、何者かが明仁天皇になりすまして、1995年2月にオウムに拉致されたことにして、仮谷拉致事件明仁天皇が死んだことにすると、事件はほとんど何もわからなくなる。オウムはこれを狙って、わざと明仁天皇殺害を隠すために仮谷拉致事件を自作したと考えることが出来る。
 この時、明仁天皇(仮谷氏)に変装していたのが、現在、明仁天皇の替え玉をしている塩見孝也(渡辺芳則)で、品川区の路上で拉致されたのは、この人物であると考えられる。この人物は、オウムの早川紀代秀だが、天皇職をしていたので、もし、拉致されれば、騒ぐ者がいたはずである。
 I田A子は、オウムの在家信者だったことになるが、幹部でなければ名前は知られていないだろう。幹部はほとんど出家していると思われるので、池田は幹部ではなく在家信者だろう。
 麻原は、I田A子を通じて明仁天皇の財産を布施させようとして、I田A子に居所を聞いていた。明仁天皇は、厚子がオウム信者であると、他の家族や自分に迷惑がかかるし、財産を布施しろ、などと言われるので、A子に信者をやめるよう説得していたと考えられる。しかし、麻原が居所を聞いて、それをしゃべったために、A子は助かり明仁天皇が殺害されたということも考えられる。
 I田A子の夫の隆政は、平田信と同一人物である。
 高橋克也が住民であった目黒区役所で、高橋の妻は明仁天皇の娘にあたる人物だったので、高橋克也明仁天皇の娘と離婚をする際に、何かうちのものを取られては困る、ということで、明仁天皇で仮谷氏は、高橋克也にひどい男だ、と言いい、娘の方が慰謝料をもらう権利がある、と喧嘩になり仮谷拉致事件が起きた。
 しかし、結局、明仁天皇(仮谷氏)は高橋克也らに殺害されているので、もしかすると、天皇家の財産は、高橋克也に取られている可能性がある。
 高橋克也は、世界で一番金持ちといわれるフセインと同一人物(リビアのガタフィ大佐とも同一人物)で、会社もたくさん経営している。日本テレビや読売新聞は、高橋克也がオーナー会長である。
 高橋克也は、最近になり、上佑や菊池、石井、林郁夫などの実の父親であることがわかってきている。
 オウムの主流派といわれる上佑(オウムの豊田)も、実は高橋克也に操られているらしいことがわかってきた(親と息子の関係)。
 このことから、オウムの首謀的立場にある人物のほとんどが、高橋克也の子供たちであり、オウムの真の首謀者は、高橋克也であると考えられる。
 しかし、高橋克也の実の母親が、松本知子であるために、高橋克也の上には松本知子がいて、オウムの意思は、
 松本知子→高橋克也石井久子・上佑史裕→野田成人→麻原彰晃の順で伝えられている、ということになる。
 なんと、教祖である麻原は、オウム内では5~6番目の地位ということになり、麻原だけ逮捕しても何もわからないことが多いのは、そのためである。