宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-419    仮谷さん拉致事件のつづき

 菊池直子とは麻原彰晃が菊子と呼んでいた女か

 麻原彰晃の娘であると思われるオウムの幹部に村岡達子がいる。
 村岡達子は、昭和50~60年代にかけて「タツコ」あるいと「たっこ」と呼ばれていた。
 村岡達子には、姉がいて、姉の方は麻原から「菊子」と呼ばれていた。
 普通に考えると、タツコと呼ばれていた方が村岡達子で、菊子と呼ばれていたのが菊池直子と考えることができる。
 菊子と呼ばれていた女は、林真須美に似ていて、歌手のS倉千代子と同一人物であると思われる。
 S倉は、昭和25年頃に、台東区入谷の菊池という名前の一家を殺害していて、その中に直子という名前がいたと考えられる。
 昭和60年代に、文京区にあるBという学校で、中学生に整形して通学していた時には、菊池Y江と名乗っていた。
 この学校には、整形した麻原彰晃上祐史浩、大内早苗、村岡達子、女に整形した平田信などが入学していた。
 当初、警察では菊池Y江があやしい、ということで捜査していたが、Y江の姉妹の直子について一切口を開かなかったために、わからなかったということであるが、もう一つの理由に、上から圧力がかかって、Y江は逮捕するな、ということだったらしい。
 この警察の「上」というのが、またまた警察官に整形した石井久子で松本知子(本当は男だが、中国で宦官となり局部を切り取られたために女として生活している)らしい。石井は、オウムの指名手配の似顔絵を描いたSくらももこだが、婦人警官として警察署に出入りすることもあるという。
 他に、警察の「上」には、タイのプミポン国王もいて、このプミポンが、きょうだい関係であるY江をかばったということらしい。
 菊池直子は、1971年12月が誕生日であるというが、昭和25年に殺害された菊池直子と同一人物であると思われ、昭和25年に生きていた人が1971(昭和46年)生まれであるわけはない。しかし、プミポンがどうしても姉を逮捕されるのがいやだ、と言ったために、1971年が誕生日ということになり、この年齢の前後の人たちが捜査の対象となってしまった。
 プミポンは、S価学会のI田大作とも同一人物で、警察は、I田大作の申し出を受けて、全然違う年代の人が疑われるハメとなった。
 さらに、菊池直子の身長は、169センチぐらい、ということになっているが、Y江の身長はもっと高く、170センチはある。
 手配書の身長もデタラメであった可能性がある。
 
 Y江は、K山K子という名前で、神奈川県に住んでいたが、夫は蒋介石である。二人の息子に平田信がいる。
 上からの圧力で、どうしてここまで調べた菊池を取り逃がさなければならなかったのか疑問である。
 それは、オウムを指名手配したのが、オウム関係者であったことが深く関係があると思われ、いったい指名手配は何なのか、ということになる。
 警察は、赤軍派捜査の時にも、森順子などの指名手配を出しているが、この時にも違った年齢を指名手配犯としたと考えられるが、人を狩っていないと気が済まないのは何故なのだろう。
 ちなみに、森順子の年齢は14歳くらいと言われ、中学生が捜査の対象にでもなったのだろうか。

 菊池直子は、浦和の高校にも通っていた?

 菊子と呼ばれていた女は、1985年~1988年頃まで、文京区のBという高校に通っていたが、それと平行してか時期をずらして、浦和の高校に通っていたという説がある。
 浦和の高校は、女子校で浦和D一女子高校という学校であるという。この学校には、定時制がある。夜間通うことができるので、昼間にB学校にいて、夜間には浦和に通っていたのかも知れない。
 浦和駅周辺は、演歌歌手Y代A紀のなわばりのようになっていて、Y代A紀が浦和と関係があるらしい。
 菊子と呼ばれていた女は、S倉千代子に似ているが、整形してY代A紀も同一人物かも知れない。

 菊池直子は、昼間、菊池Y江という名前で文京区のB高校に通い、夜間に定時制の浦和女子高校に菊池直子という名前で通っていたのかも知れない。
 B高校は、最寄駅が駒込駅巣鴨駅で、巣鴨駅には京浜東北線が通り、浦和駅までは30分位である。
 仮に、部活が17時30分まであるとして、定時制の2時限目にぎりぎりか少し遅れて着くことができる。
 しかし、菊池直子は1時限目からいた、という説があり、これだと部活をしている菊池Y江が間に合わない。
 菊池Y江には、稲葉という親友がいて、稲葉は菊池Y江の娘か妹の大内早苗である。大内早苗は部活をしていないので、1時限目の17時25分に間に合う。1時限目には稲葉が行き、2時限目でY江と交代していた、という可能性もある。