宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-406    仮谷さん拉致事件のつづき 松川事件と福島県

 
 福島県には、何故、オウムがたかったのか 松川事件に原因がある?

 1949年8月17日3時9分に、福島県の松川駅で、旅客列車の転覆事件があった。
 事件後、近くの東芝工場松川工場などに勤務する不良グループが逮捕された。
 1950年8月には、容疑者20人に重罪の求刑がおりた。
 しかし、1959年になり、「諏訪メモ」と呼ばれる東芝松川工場の事務課長補佐の諏訪某氏という人物が、容疑者の中の佐藤一という男のアリバイを主張するメモが見つかったとして、全員無罪となっている。
 諏訪メモが見つかるまではほとんどが死刑か有罪だったのに、である。
 諏訪メモとは、犯行時刻に、佐藤一という男が、労組と東芝松川工場の工場長ら会社側との交渉に出席していた、というもので、このメモのために佐藤は無罪となり、佐藤の無罪を受けて転覆謀略は<空中楼閣>として崩れ去り、列車転覆実行行為は不可能である、さらに、このメモを警察や検察が隠していた、とされた。
 このメモのことを最初に言い出したのは、毎日新聞(TBSは毎日系)の記者の島倉という人物で、銭湯で知り合った男に「松川事件のアリバイになるものが出て来た」と言われたことが始まりだった。
 このことを島倉氏に言った人物は、松川事件で謀議首謀の罪に問われていた斉藤千という人物で、自分たちが疑いをかけられている事件を、他人事のように思っているような言い方で諏訪メモのことを言っている。
 当時、島倉記者は高校生だったので、10年前の松川事件について本を読むなどして調べた、という。
 その後、この諏訪メモのことが知られ出して、朝日新聞社がスクープを出し、毎日新聞の島倉氏は、メモは確かにあった、ということだけ福島支局に送稿した、という。
 しかし、諏訪メモの存在のために、裁判で全員の無罪が決定してしまったのだという。
 
 この後からとってつけたような諏訪メモは、事務課長補佐の諏訪氏が持っていたとされるものだが、事件後しばらくして出て来て、しかも全員を無罪にしてしまった、というところが気になり、もし、このメモが後から捏造されたものだとすれば、毎日新聞の記者が騙されたということになり、警察検察も隠したと言われ、裁判もひっくり返り、事件を捜査する側にとって悪魔のメモということになる。
 あるいは、佐藤一は確かに交渉に出席していたが、交渉の直後か後に殺され、犯人が名乗った、という可能性もある。
 
 ところで、松川事件には、ひっかかる点がいくつかある。
松川事件福島県福島市の松川駅で起きたこと(金谷川駅との間のカーブの地点)
毎日新聞社の記者が騙されていたかも知れないこと
毎日新聞社の福島支局、福島地裁が事件に出て来ること(福島県で起きたのだから当然のことといえる)
・佐藤一という人物と同一人物者が関わる現在の事件が、現在でも冤罪事件であると主張されること
・諏訪メモを持っていた人物は諏訪親一郎という名前だが、諏訪という人物は、戦後三大未解決事件のひとつの「帝銀事件」にも、諏訪中佐という人物が登場し、容疑者の一人とされている。また、諏訪大社という神社に、仮谷さん拉致事件の仮谷氏の一族の遺体が遺棄されていた可能性があり、諏訪大社は、明治天皇を記念する神社である。

などである。

 松川事件アメリカからの圧力(諏訪メモ)により、全員が無罪になった、ということはうすうすわかるが、この事件は福島県で起き、しかも、この事件が戦後の三大未解決事件になっていること、三つの事件が戦後(今後)の事件の行き先を決める最初の事件、となっていることなど、1年の計は元旦にあり、ではないが、そのような意味あいがあるのではないかと思われることから、福島県とは、アメリカや犯人たち(赤軍派やオウムと同じようなメンバー)にとって重要な地域となっているのではないか、ということが推測される。
 つまり、謀略が成功した地が福島だったと考えられる。
 この頃の列車転覆事件は他にもあるが、松川事件は、他の列車転覆事件の一番最初の事件である。