宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-249    仮谷さん拉致事件のつづき

 しかし、何故、アレフがそういう立場にあるかというと、I原S太郎の秘書である、ということが大きな位置を占めており、地方自治にとってI原とは何だ、ということになってくる。
 思い当たるのが、I原の当選が、現職全員の当選となった前回の知事選挙で、これはいつも定例になっているのか、という疑問が湧く。
 地方自治選挙で不審だと思うのは、どこかの区や市の選挙結果が全体の結果を決めているのではないか、という疑惑で、そのどこかの区や市の選挙結果を開票しただけで当確が決まるのはおかしい。
 むしろ、その特定の地域に支持者が集まっているだけで(それもわざと)、他の地域は別の結果が得られているかも知れない。それを無視して当確を発表しているのは、何らかのエセ情報が出回っているためとも考えられる。

 また、首相は、1年に1回ぐらいの割合で変わっているが、地方自治の首長はそうではない。
 官僚が国政ではなく、地方自治に関心があるのは、コロコロ代わる首相よりも、4年は変わらない知事や区長の方に目を向けよう、という思惑があるとして、そこでも、この幸運を手放したくない、というI原の不正選挙疑惑が浮かんでくる。
 首相よりも長く首長をしている、と言って、国政より地方行政を注目しろ、官僚らを言いくるめ、もし結果、落選したとしても、それは命がけで不正結果情報を流すはずだし、福島県を犠牲にしてても、巨大地震放射能洩流テロを起こすはずである。



 フランス革命のバックはマリア・テレジア(菊池直子)

 菊池直子がオーストリア女帝のマリア・テレジアだったことが判明した。
 オーストリアとフランスは戦争状態の直前にあったが、オーストリアの女帝の娘のマリー・アントワネットをフランス国王の元に嫁がせることにより、同盟を築こうとした。
 このことから、マリー・アントワネットが嫁いだフランス王室の贅沢と恐怖政治が元で起きたフランス革命のバックにいたのは、オーストリアマリア・テレジアであったことがわかる。
 マリー・アントワネットは、村岡達子と同一人物である。
 フランス革命の後、日本にやって来たルイは、日本で将軍の地位に就いたが、それをマリー・アントワネットマリア・テレジアが妬んで日本の悪口を言うようになり、それが明治維新につながった。
 菊池直子や村岡達子は、常に、ルイ国王をしていた人物にストーカーし、その人物の周りで恐怖政治を展開して、ぬれぎぬを着せている感がある。
 フランスは、イギリスと仲が悪かった。
 マリア・テレジアは現在のイギリスの女王であり、オーストリアもイギリス側についていたとすると、イギリスとフランスの代理戦争だった可能性が高い。
 
 Sッチャー首相は菊池直子

 エリザベス女王をしている人物は、イギリスのSッチャー元首相と同一人物であると思われ、1979年~1990年までイギリスの首相をしていた。
 ダイアナの母とも同一人物である。
 しかし、1994年6月に、松本サリン事件を起こして、K野澄子(本物のエリザベス女王)をサリンの被害に遭わせ、その後、エリザベス女王が英国王室から出た。そして、1999年9月に江東区亀戸のマンション内で遺体となって発見された。
 Sッチャー元首相の父母は、AルフレッドとBアトリスといい、Aルフレッドという名前は、イギリスでエリザベス女王と対立している家だといわれている。
 1997年に香港が中国に返還されたことに際して、Sッチャー元首相は、イギリスの統治国よりも中国の方がやっぱりよかった、と香港人に思われないために、香港上海銀行で、菊池直子や他の逃走犯のアテ馬を作るために、他人名義の偽造口座を発行した。
 Sッチャー元首相の経済政策は、マネタリズムと呼ばれるもので、貨幣の需要、供給と中央銀行との関係を重視したものだが、この経済政策により、失業者が倍増し300万人となった(イギリスの人口が8000万人ぐらい)。しかし、国民が支持しなくなったので、マネタリズムを完全にやめたら、経済が回復したという。
 外国へのIMF政策は、Sッチャー元首相のマネタリズムの延長線上にあると考えられる(IMFパニック)。
 地方行政を敬遠し、教育を政府直轄とした。
 ヘルシンキ宣言を非難したことから、ソ連の新聞で「Sッチャーは鉄の女」と批判したら、かえって本人に気に入られた。
 強硬な姿勢でイギリスの伝統を破壊し改革を断行した政治であるといわれている。
 首相に就任していた頃に、日本では神奈川県の白楽に自宅があった。