宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-301    仮谷さん拉致事件のつづき

 麻原彰晃は演歌歌手MかI原慎太郎か

 麻原彰晃は、肝臓の持病と盲学校に通っていたといわれている。肝臓病を患っていたのは、シンガーソングライターM下孝蔵だが、この人物はI原慎太郎である。また、熊本で漢方薬店を開業していた、ということだが、文京区で漢方薬店を経営しているのは、林郁夫でI原慎太郎と同一人物である。
 また、長野県の知事と喧嘩していたのもI原慎太郎である。
 演歌歌手Mの場合は、麻原の過去の写真を見たちころ、演歌歌手Mと同一人物者の別の演歌歌手の顔によく似ている。
 麻原彰晃は、I原慎太郎と演歌歌手Mのどちらだろうか。

 東京都のことは前述の通りである。
 
 二人で一役だったか、熊本の頃は演歌歌手Mだったが、何か転機があり、I原慎太郎が教祖となったのかも知れない。
 オウム神仙の会の会長とオウム真理教の教祖は違うかも知れない。
 I原慎太郎は、宗教の創設者をいくつもしている。オウム真理教が宗教法人の認可をしようとして、演歌歌手Mではダメだったので、I原慎太郎に交代した、なども考えられる。
 また、神仙の会からオウム真理教にするにあたって、代表者を変えた可能性もある。
 オウム信者は、神仙の会と真理教を別のもの、として捉えている者もいる。
 また、仮谷拉致事件が起きたのは、昭和天皇が退いて、H陸の宮が天皇の座に就いたことと関係があり、麻原の目指す、自分が天皇になる、という教義から、昭和天皇が教祖をしていたわけではないらしいことがわかる。しかし、もともと天皇だったのをわざとそのように言っていたということも考えられる。
 紀の宮殺人→明仁殺人→昭和天皇再即位→H陸の宮即位→昭和天皇(仮谷氏)偽装拉致 という順序だ。
 この場合、松本サリン事件が起きた頃から、世の中に異変が起き、それまではまだ大丈夫だった。松本サリン事件は1994年6月のことであり、それまでは昭和天皇天皇をしていた。
 しかし、紀の宮を殺してその直後に明仁天皇を殺した(殺人者はI原慎太郎)のに、H陸の宮を天皇にする気配がなかったので、そこで坂本弁護士殺人を起こし、警察が捜査をするようになり、住んでいた松本市で市民が訴訟を起こし、その裁判で負けたくなかったので松本サリン事件を起こした。
 この事件の命令を昭和天皇がする意味がわからない。
 だから、麻原彰晃は、昭和天皇をしていた演歌歌手Mではなく、H陸の宮の父親のI原慎太郎である可能性が高い。

 阪神淡路大震災は、H陸の宮を天皇にしなかったことへの復讐?
 
 1995年1月に起きた阪神淡路大震災は、昭和天皇崩御明仁天皇の即位が何となくついてまわっている。
 昭和天皇崩御明仁天皇即位は、1989年1月6~7日のことで、阪神淡路大震災は、その6年後の同じ日から10日後ぐらいに起きている。
 だから、一瞬、天皇崩御したのか、と思う人もいたようだ。
 オウム事件は、昭和天皇崩御明仁天皇の即位の年から起きるようになっていて、一連の事件は、H陸の宮を即位させなかったことと、仮谷拉致事件により昭和天皇が退位し、H陸の宮が事実上即位したことによって、これまでH陸の宮を支援していなかった役人や国民などに復讐する意味があったのではないかと考えられる。
 仮谷拉致事件は、1995年2月に起きたことになっているが、実はもう少し前の1994年頃から計画していて、仮谷氏を拉致して退位させよう、と思っていたので、明仁天皇天皇に即位したことで構成されていた世の中が崩壊したと考えられる。
 もし、阪神淡路大震災がテロであるとすれば、これは明仁天皇天皇に選んだことへの復讐だった可能性がある。
 そのきっかけは、長野県の住民との裁判で麻原彰晃が負けそうになっていたことだろう。
 仮谷拉致事件計画は、その少し後から出てきたのではないだろうか。

 三人の指名手配犯は、昭和天皇を追い出す動機がある

 仮谷拉致事件昭和天皇の退位のことだとすると、仮谷氏を拉致して殺害した、と言っていたのは、H陸の宮関係者だろう。
 このうち、菊池直子はI原慎太郎で、平田信はI原典子であることから、高橋克也はH陸の宮で、菊池直子と平田信は、H陸の宮の父母だったのではないかという推測が出来る。
 このうち、平田信は、アメリカのW・ブッシュでバーバラやローラ夫人と同一人物である。H陸の宮がアメリカから推奨されていた、というのは、母親がブッシュ家だったから、ということになる。