宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑤-16    世田谷祖師谷一家4人殺人事件のつづき

 不動産会社のメンバー

 最近になり、不動産会社のメンバーのことがわかってきた。

 店長のT田  上祐史裕と石井久子(高橋克也)の入れ替わり立ち代り(一人二役
 従業員のK藤 麻原彰晃(後に、この人物は平田信であることが判明)
 嘱託のMッ木 菊池直子(後に早川紀代秀であることが判明)

 グループSのメンバーとしては、順に、K取・N居、K村、I垣である。
 このうち、N居は宮沢みきおをしていた人物で、妻は皇后美智子、子供二人である。
 妻と子供は死亡しているが、宮沢みきおは死んでいない。

 子供二人を殺害したのは、K藤である可能性があり、妻を殺害したのはMツ木かも知れない。
 
 グループSのメンバーは、K藤以外、Mツ木とT田の子供で、人気のあるK藤を妬んでいたために、K藤のトレーナーを現場に置いていた。
 また、殺害された妻の方が、グループSの中でK藤が好きだったので、それに腹を立てた人物(Mツ木)が妻を殺害した。
 しかし、K藤は首謀者である可能性もあるが、麻原より地位が上なのが父親の高橋である可能性があり、首謀者は高橋の方かも知れない。
 Mツ木とK藤の関係は、Mツ木の親をK藤が殺害しているというような関係で、主従関係はK藤の上かも知れないが、K藤はMツ木が何を企むかわからない人物として一目置いている部分もある。

 T田は、事件の後、自分の口座に東京都からの立退き料の3億円を振り込まれている。
 この3億円のうち、6000万円位をオウムの危機の時のために使うプール金として使用しており、あとの2億4万円は、Jャニーズとして皆に振り分けたか、その後のタリバンの資金として使用したのかも知れない。
 
 
 成城署に運ばれた遺体は、隣の家に住んでいた小池俊一が引き取ったが、このうち、妻の遺体を冷凍保存するかして、4ヶ月半後の4月20日~4月21日に、徳島県兵庫県洲本に遺棄した。
 徳島の団地に遺棄された遺体は1995年3月に殺害したO和田M子かも知れず、洲本の方は皇后美智子だ。

 仮谷氏とは、O和田M子(本物の皇太子妃M子)の父親のO和田恒氏であるかも知れないが、O和田氏と皇后美智子は同一人物者かも知れないし別人かも知れない。