宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-438    仮谷さん拉致事件のつづき

 O和田M子拉致殺害事件?


 仮谷拉致事件の仮谷清志に見立ててO和田M子を殺害しているとすれば、
皇后美智子を殺害したと仮定した時の遺体を遺棄した場所をそのままO和田M子の遺体遺棄現場やいきさつに当てはめてみると、次のような状態であると推測される(仮谷拉致殺人事件の裁判のオウム信者の証言とつじつまが合う点が出て来る)。

 ・1995年3月20日~21日に、上祐史裕の八丁堀のマンション内でサリンの混入した風呂に入り、サリン中毒で重体となる。
 ・浴槽をそのまま運搬し、マンション近くに停めてあった「いけす車両」で、上九一色村サティアンに運び、サリンが混入された浴槽から、エビアンの水の入った浴槽に替えて、O和田M子を蘇生させようと試みた。
 当初は、青森県の風の松原に運ばれたと思われたが、遺体か、まだ生きているO和田M子を、山梨県浅間神社(浅間茶屋)を経由して運んだかも知れず、青森県の方角ではなく富士山の方角なので、いけす車両で運ばれたO和田M子は、富士山のサティアンに運ばれていた可能性が出て来たためである。
 ・サティアンで蘇生できなかったO和田M子は、マイクロウェーブというドラム缶を利用した焼却炉で焼かれ、オウム信者の井上嘉浩(平田信と同一人物)が灰を本栖湖に遺棄した。
 その後、井上は麻原からSブンイレブンで買ったおはぎとオレンジジュースをもらっている。
 尚、新しい情報として、八丁堀のマンションでM子と一緒にいたのは、上祐ではなく、井上であるという説が浮上している。

 蘇生で生きかえっていた場合

 ・生きかえったとすれば、O和田M子はその後、1999年9月に起きた亀戸マンション内女性殺人事件の被害者となる。
 ・亀戸の事件でまたも生きかえったO和田M子は、今度は2000年12月に起きた宮沢一家殺人事件で、井上嘉浩に殺害される。
 ・遺体をしばらく冷凍保存し、2001年4月20日~21日に、淡路島の洲本にある別荘地に遺棄。ドラム缶で遺体は焼かれていた。この別荘地は、ドイツ人が所有している。

 死亡した場合

 ・遺体は、青森県のWェスパ椿山という温泉施設で解体され、腕を福島第一原発玄海原発に遺棄。頭部は青森県の風の松原の管理事務所が管理している競技場近くの男子トイレを新設する際、トイレの陶器の中に頭部を埋め込み、男子トイレの便器として使用したか、青森県八甲田山銅像茶屋のトイレの男子と女子の絵が描かれた壁の中に、遺棄した。
 胴体部分は、細かく解体し、長崎県の福島のフルーツ苑や大阪の櫻島神社のほこらの中、東京の丸子橋の梨園跡地などに遺棄。

 O和田M子は、地下鉄サリン事件の前にも、松本サリン事件や坂本弁護士殺人事件で被害にあっていた可能性もある。
 お妃候補として立候補しHの宮に近づいた時から、すでに明仁皇太子(当時)が殺害されていて、そのことかせわからないくせに、とオウムからののしられていた可能性がある。
 坂本弁護士殺害事件では妻を、松本サリン事件では妻のK野澄子をしていた人物と同一人物なのではないだろうか。
 このオウムとの闘いにより、O和田M子を「正義感がある人だ」、と思っていた人がいるという話しも伝わっている。
 
 O和田M子と仮谷清志の関係

 O和田M子の父母は、E頭優美子とCッソの江頭会長だが、実際の親子ではないようだ。
 O和田M子は、ロシアの女帝をしていたことがあるので、年齢は数百歳以上だろう。
 例えば、実際の親子ではないが、二人に本当の両親を殺されているなどの関係が近いのではないだろうか。