宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-397    仮谷さん拉致事件のつづき

 神奈川県警と仮谷清志

 神奈川県警と仮谷清志の確執は、仮谷清志が坂本弁護士と同一人物で、事件の起きた時に神奈川県警が「坂本が金を持って逃げた」と言っていることから、坂本弁護士はもともと神奈川県警からマークされていたことがわかる。
 仮谷拉致事件が立件された時にも、神奈川県警は仮谷清志をよく思っていなかったが、皇族(Hの宮)だったので、痴漢や万引きで不祥事を起こし、坂本弁護士(仮谷清志)をよく思っていなかった人を左遷させようと思ったのだ。この時、I原慎太郎は都知事に就任したばかりの年だった(1999年頃)。
 I原慎太郎が1999~2000年頃に都知事に初当選した時に、「東京の首都機能を神奈川県に移転するのは絶対反対」というポスターが貼られたのは、自分が仮谷清志であることを神奈川県警に気づかれていたか、神奈川県警がI原慎太郎と確執があったためであると考えられる。

 指名手配の理由

・仮谷清志で国松孝次が皇族のHの宮と同一人物のために、ライバルを蹴落とすために指名手配をした。
 菊池直子→Aの宮紀子
 高橋克也→元紀の宮(K田清子)
 平田信→本物のHの宮を殺害した時に、Hの宮になりかわるはずだったのが平田信だったが、それを奪ったために、平田から「本当は俺がなるはずだったのに」と言われるのが面倒だったため(平田はK田慶樹と同一人物)
 麻原彰晃→Aの宮

 大量殺人とは

 天皇は、自分の体制を築くために、大量殺人によるマインドコントロールを敷く。ただ天皇だと言っているだけでは誰もいいなりにならない。
 Hの宮も例外ではなく、オウムの大量殺人とは、死刑囚になった麻原、指名手配された逃走犯らがHの宮の体制を敷くために、マインドコントロールを行うために、逃走犯の通報者や、将来的に通報する可能性のある“どこかで指名手配犯に出会っていたことのある人たち”を対象に大量殺人を行った。
 さらに、オウムはユダヤ財閥と関係があり(一族)、日本をユダヤ経済支配にするために、企業家を殺害し、多くの企業をオウム企業にしている。
 もうひとつの要素としては、オウム真理教を捜査した警察や行政への復讐だろう。

 仮谷拉致事件をO和田M子殺人に置きかえられるか

 信者が仮谷拉致事件の裁判で言っていることは、

・殺害の命令をしたのは麻原(Aの宮)
・村井がサティアンで1995年3月1日に注射で殺害
・遺体をマイクロウェーブで焼却し、本栖湖に遺棄

等である。

 しかし、これをそのままO和田M子に当てはめられないのは、

・O和田M子の死亡推定時期は、1995年3月20日~21日にかけて
・長野県か青森県(りんごが有名な場所)で、遺体を解体し腕を切断し福島第一原発や佐賀の玄海原発に埋めた→後にサティアンに運んでいた可能性が出て来る(後述)
・マイクロウェーブで焼却し、淡路島の大阪湾近くの洲本に遺棄した(胴体の骨部分?)

らしいことがわかっているためだ。

 しかも、O和田M子も義足使用者であった可能性があるので(ロシアの女帝をしていた人物と顔が一致)、遺棄したという遺体は、腕や足などの義足部分で、本体の遺体は発見されていない。
 しかし、義足使用者であったかどうかはわからない。

 時期も若干違うし、遺体遺棄場所も違う。
 仮谷拉致事件の裁判の証言をそのままO和田M子事件に当てはめられないが、参考になる点はあるだろう。

 仮谷拉致事件の被害者を皇后美智子だとした結果、出て来たいくつかの情報に

長崎県佐賀県の間にある福島という島のフルーツ苑に遺体の一部を遺棄
・神奈川県と大田区の間にかかる丸子橋の梨園跡地に遺体の一部を遺棄
・大阪湾の人工島咲洲にある櫻島神社に遺体を遺棄
など、遺体がいくつかに切断されていくつかの場所に点在して遺棄されている。※

 
 仮谷清志(皇后美智子)とO和田M子が入れ替わっているのは、仮谷清志が生きていて、O和田M子の方が被害者だからである。


 なお、※の遺棄場所の遺体の主は、明仁天皇(1989年1月死亡→昭和天皇崩御とすりかわった)である可能性もある。