宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-592    仮谷さん拉致事件のつづき

 仮谷拉致事件の仮谷氏とは、天皇のこと?

 殺害された天皇陛下の遺体は、管轄の駒込署に運ばれた後、遺族と称する人物が、自宅へ運んだはずだが、この後、どこかへ移動した可能性もある。
 例えば、この人物は、同時に城東警察署かサティアンのある上九一色村の管轄の富士吉田署の署長をしていたので、その管轄の溶鉄所か近くにあったドラム缶で遺体を溶かされ、近くの川に灰を流し、その後、焼け残った遺骨を、上裕の所有しているあたりの品川区のスポーツセンターと目黒川の間の排水溝に埋めたのではないだろうか。
 仮谷拉致事件が起きたのが1995年2月だが、この人物の殺害のことを仮谷拉致事件の仮谷清志と呼んでいるのではないだろうか。
 本当は、菊池直子が仮谷清志なのに、それを天皇陛下とすりかえているのだ。
 天皇陛下が死亡したのは、1996年6月のことだ。

 この人物を仮谷清志に当てはめてみると、
 駒込で殺害された後、山梨県サティアンに運ばれ、遺体をドラム缶で焼却し、本栖湖に灰を流し、その後、仮谷拉致事件の起きた大崎の開発地帯に遺体を埋めた。

 つまり、オウムの菊池直子らは、天皇陛下駒込駅近くの庭園の脇で殺害し、遺体を大崎に埋めたのだ。
 大崎に眠っている遺体は、仮谷拉致事件を捜査していた警察官や、校長をしていた仮谷氏の事件のことに気づかない女子高生を拉致して殺害し大崎に埋めたのだ。
 殺害されていた人たちは、天皇陛下を支援する人たちで、殺害されていたことがわからないため、オウムに拉致されたりして殺害され大崎に埋めれたのだ。
 大崎は、仮谷拉致事件が起きた目黒公証役場のあった場所だ。
 拉致された女子高校生も、駒込から山梨県サティアンに連れられ、人体実験などをされた後、遺体を大崎に運んで手足を切断した上で開発地帯に埋めた。

 これで、駒込-大崎の謎が解ける。

 天皇陛下は仮谷清志ではないのに

 何故、仮谷清志が天皇陛下になるかというと、普段、仮谷清志をしていたのは、菊池直子で妓郷蟻析困猫掬賃膾遒世辰燭、拉致の起きた日だけ、仮谷清志が天皇に「一日だけ仮谷清志をしてくれないか」と頼み、その日一日だけ天皇は仮谷清志をしていたのだ。
 掬弔氾傾弔浪燭のことで加害者と被害者の関係だったが、一日だけ仮谷清志をしてくれればそのことは全部水に流す、と掬弔ら提案されたのだ。
 そのため、天皇は一日だけ仮谷清志をしたが、その日にオウムは仮谷拉致事件を起こす計画だったのだ。
 このようにして、拉致されて95年3月に仮谷清志は死亡したことにされたが、全部本当のことを言うと天皇を殺したことがバレてしまうので、殺害日時をウソをついた。
 殺害したのは、井上嘉浩だが、この人物は、菊池直子と同一人物である。そして、殺害場所は駒込であろう。

 おはぎとオレンジジュース

 殺害したことを報告した井上は、麻原からおはぎとオレンジジュースをもらったということだが、おはぎとオレンジジュースは天皇が好きなものだったのだろうか。俺もあいつのことを知っている、と麻原は言いたかったのだろう。
 天皇はその時期、「俺は血の気が多くてすぐ喧嘩したくなるのでよく献血に行っている」と周囲の者に漏らしていたようだ。
 献血に行くと、オレンジジュースなどのジュースが飲める他、粗品として食べ物や日用品、文房具などがセレクトしてもらえるらしい。
 井上が殺した人物は、献血に行くと、おはぎとオレンジジュースをもらって帰ってきたのではないだろうか。
 あるいは、献血に行った天皇献血した血液の分析結果が、オウムに流れてしまった時にもらってきた物が、おはぎとオレンジジュースだったということも考えられる。献血場所は、富士吉田市だろう。
 つまり、麻原は、井上(菊池)がまさか天皇を殺すと思っていなかったが、井上は仮谷清志と同一人物なので、「仮谷を殺した」、という報告を井上から受けた後、仮谷って誰のことだろう?と少し考えた後に「天皇か」とわかったので、天皇献血に行ってよくもらって帰ってきたものを井上に渡し、「天皇を殺したことを知っている」とほのめかしたのだ。