宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-610    仮谷さん拉致事件のつづき

 東大の学長は高橋克也

 東京大学の総長(学長)の写真を見ると、高橋克也(早川紀代秀)によく似ている(妓郷蟻析困と思われたが、妓兇任呂覆早川であるようだ)。
確か、オウムは東大が嫌いだったはずなのに意外である。しかし、麻原が東大を嫌いである行動がない。麻原の狂言である可能性もある。オウムは、オウム事件が騒がれていた頃、有名大学を卒業しているエリートのような若者が信者にたくさんいる、と騒がれていた。
 麻原(上裕)は二枚舌の政治家と同一人物なので、東大が嫌いだということにして、東大とよろしくやっていたという可能性もある。

 夏目漱石の脳は何故展示されたか

 ところで、東大には、夏目漱石の脳と胃がホルマリン漬けで保存されている。これが有名になったのは、1990年代の初め頃に、博物館に夏目漱石の脳のホルマリン漬けが展示されたことからだ。
 夏目漱石の脳を展示することに衝撃を感じた人もいたかと思うが、このホルマリン漬けは東京大学医学部に保存されているのだという。
 夏目漱石と東大の関係はいったい何なのだろう。
 夏目漱石の生い立ちを調べてみると、家庭が複雑であることと東大に入学した途端に神経衰弱や厭世主義に陥っている。
 東大の入学直前には、家族の長男(警視庁の翻訳係をしていた)や次男が死亡し、また直後には漱石が慕っていた三男の妻が死亡している。このことが重なり、神経衰弱に陥っているという。長男は、成績の良かった漱石を東大を卒業させて立身出世をさせようと考えていたらしいが、それを考えていた長男が急に死んで、さらにその後漱石は東大に入学したのだ。
 また、卒業後は文部省の命令でイギリスに留学したが、報告を怠ったとして、「漱石キチガイになった」と文部省中に噂が流れたし、数年後に小泉八雲が東大の講師を辞めるのでその代わりに夏目漱石が講師に呼ばれたが、学生の間で八雲復帰運動が起こり、またまた夏目漱石の病気が重くなっている。
 東大は東大を卒業したからといって呪いのようなものがなくなるのではなく、ますますひどい病気に侵される、ということもあるようだ。
 漱石が長男や次男が死んだ後に東大に入学し、その後にも自分が慕っていた女性が死んでいるところから、東大の学長クラスの何者かが夏目漱石を嫌っていて、いく手を阻んでいたのではないかと考えられる。
 文部省の英国留学の命令を失敗に終わっているも同然だし、文部省と東京大学夏目漱石にとって鬼門のような存在だったのではないだろうか。結局、夏目漱石は、文筆業と学校の教師で生計を立てていたので、文部省や東大の呪縛から離れられなかったようだが、これが夏目漱石胃潰瘍の原因かも知れない。
 自分を呪っていた学校や省庁から離れることが出来なかったので、神経衰弱や胃潰瘍が直らなかったのだろう。
 このようなことから、東京大学にも好き嫌いがあることがわかるし、日本で起こるいろいろなことの万能薬でもないことがわかる。
 東大東大と崇拝する人もいるが、東大は意外と誰にでも受け入れられるところでもなく、もとから気に食わない人みたいなものもいる。
 日本一の大学だからといって懐が広いとか、卒業生は呪わない、などということもないのではないだろうか。
 夏目漱石漱石という名前を与えた作家の正岡子規は、石原莞爾によく似ているが、この人物が父親と同一人物かグルで、漱石はこの人物とも確執があったようで、この人物か仲間(手下)が東大の学長あたりにでも就いていたいたのではないだろうか(妬み?)。
 とはいえ、夏目漱石は死ぬ直前に寝巻きの胸をはだけて「ここにみずをかけてくれ、死ぬと困るから」と叫んだと言われているので、胸の病気に罹っていたと思われ、兄弟二人も肺病で死んでいることから、直接の死因は肺病(急性トラホームに罹っていた)らしいことがうかがえる。
 兄弟3人が肺病で死んでいるので、病気は父親か母親の遺伝かも知れない。東大は、親子仲が不和だったり家庭に問題があったりすると嫌うのかも知れない。夏目漱石が悩んでいた病気は、精神病と胃潰瘍というより、精神病と親の遺伝の肺病(伝染病?)なのではないだろうか。
 
 正岡子規夏目漱石は兄弟で、正岡子規の父親と夏目漱石の父親は同じ人物だが、父親が正岡子規だけを可愛がる親バカなので、ライバルの夏目漱石は父親から虐げられたというような身内間の人間関係があったのではないだろうか。