宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 127    天皇陛下殺人事件

 仮谷拉致事件の仮谷清志は麻原彰晃

 仮谷拉致事件の拉致されたという仮谷清志は、妓郷蟻析困破禪蕎換犬汎碓貎擁であることがわかってきた。
 妓兇蓮⊂なくとも1990年頃までは麻原彰晃をしていた。その後、早川紀代秀に交代したか、妓兇里泙泙不明でしかも、裁判に出ている麻原は上裕の変装である。
 それにはこんなからくりもある。

 1995年頃、演歌歌手M(上裕)が妻と離婚することになった。妻は、松本知子で石井久子と同一人物者だが、石井久子がアナウンサーとして働いていたTというテレビ局で「お前の夫をどうにかしろよ」と言われて、オウム真理教を通報した。
 石井久子は、この時、上裕をやろうとしてオウム真理教を通報したらしいが、石井は、上裕のことを麻原彰晃である、と勘違いしていたのだろうか。
 
 1995年2月に仮谷拉致事件が起きたが、仮谷清志は、目黒区に住んでいた演歌歌手Mが、離婚に際してのことで公証役場を訪れたが、応対に出た仮谷清志が麻原彰晃と同一人物者で、当然、演歌歌手Mで上裕の方ではなく、松本知子の方を庇(かば)い出した。
 演歌歌手Mは、自分の味方につかない仮谷清志を恨んだが、同時に公証役場に上裕の肩を持つ職員もいて、この人物を恨んだのが麻原彰晃と松本知子だったと考えられる。
 上裕の肩を持っていた職員は、上裕が明仁天皇と同一人物なので、兄弟のH陸宮であると考えられる。
 仮谷拉致事件の仮谷清志とは、上裕の方を庇ったH陸宮の方なのではないだろうか。それを、仮谷清志が拉致された、ということにして、麻原彰晃を庇わせる事件にしたのではないだろうか。

 H陸宮には妹がいたが、麻原はH陸宮の居所を聞きだそうと妹を拉致して聞こうとしたが、答えず殺害され、その妹の方を今度は松本知子が変装して演じていたのではないだろうか。

 つまり、仮谷清志が麻原で、仮谷の妹が松本知子ということになる。
 ところが、仮谷清志で麻原を恨んでいた上裕の方が、麻原彰晃、ということにされた。
 仮谷清志が麻原と同一人物であことを知らなかったために、仮谷に腹を立てた上裕が麻原に仕立てられたのだ。
 つまり、被害者の名前が違っていたために、麻原と被害者側がすりかえられたことになる。

 仮谷拉致事件の被害者は明仁天皇の兄弟?

 H陸宮が殺害された後、遺体は、北区にある清掃工場に運ばれ遺棄された。清掃工場の近くにある企業があり、この企業では日本の社会情勢を決める重要な役割を何らかの方法で得ているが、それが仮谷拉致事件の被害者の遺体遺棄と(ドラム缶ではなく清掃工場の焼却炉?)、兄弟を殺害された上裕が、麻原や松本から脅されて行なっているニセ札製造ではないだろうか。

 仮谷拉致事件の被害者とは、早川紀代秀のことか?

 また、麻原と早川の間には、確執のようなものがあるので、仮谷清志として拉致されたのは、早川紀代秀昭和天皇)の方かも知れない。その場合、上裕(明仁)のお父さん、ということになる。演歌歌手Mの肩を持っていたのは、兄弟というよりお父さんだったから、ということになる。
 早川は、麻原らに拉致されたが、義足や義手を使用しているので、例え腕に注射を打たれたとしても、それが体内に入るかどうかは疑問だし、現に生きているようだ。
 お父さんが死んだことにして、皆が明仁天皇を騙し、試していた、などということだろうか。そのことをわからない上裕が、ニセ札製造をさせられたり、オウムの逃走犯を庇わせられたり、皆の使いっぱしりにさせられていたということだろうか。
 しかし、この人物は、明仁天皇と同一人物なので、知らないことが命取りになる国民や役人がいたということだろうか。
 上裕は、おしつけるための殺人をしていた、と言われている。

 上裕のお父さんについて、それは犬だ、という説もあり、これは、上裕の父親の早川が徳川家康と同一人物で、徳川家康は、お犬様といって犬を崇めさせていたとこがあるためだろうか。
 お父さんが誰だかわからないので、犬でヒントを与えようとしていたのだろうか。
 
 皇后の一族が次々と

 1997年4月に、佐賀一丁目で会社社長の殺人事件が起きた。この家の一帯には、江戸時代、庄屋の屋敷があり、この家は、正田家と関係のある家である可能性が高い。 深川江戸資料館という江戸時代の街並みを展示した博物館があるが、この展示は、佐賀町付近のものであるという。
 正田家の日清という会社も、すぐ隣の隅田川をはさんだ新川にあり、正田家はこの辺り一帯の地主だったのだ。

 その正田家の関係者が殺害されたという事件が、佐賀一丁目殺人事件であると思われる。