宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-696    仮谷さん拉致事件のつづき

 小杉は、当時、M警察署の近くに女の格好と名前(M子という名前)で住んでおり、この女がS川急便勤務の男Sとつきあっていた。
 犯人は、小杉と付き合っていたSという可能性もある。S川急便には、当時、“結婚する予定のある女性や付き合っている女性の家族をいいなりにするために、殺人をしている”、という噂があり、小杉と同一人物者の女(M子)の家族をモノにするために、M子の親族だった女性(R子さん)の身内を殺害し、さらに、女性をいいなりにして、嫁ぎ先の家族全体をSのいいなりにしようとしていたかも知れないからだ。
 S川急便のSは、妓郷蟻析困汎碓貎擁者である。
 妓兇蓮△海了?錣2~3年後にも、R子さんの姉妹と同じ名前を自分の苗字につけて仲間内で名乗っていたことがある。

 女性R子さんの嫁ぎ先は、Y運輸と親戚関係があった。
 S川急便による“付き合っている女をモノにするために人を殺す“
云々の噂は、ライバルのY運輸に向けられたものかも知れない。
 
 
 1997年7月21日、なんと驚くことに、この無実の罪で逮捕された女性は、M警察署内で死亡してしまったという。
 犯人は、小杉かも知れないのに、犯人が警察署の職権を乱用して被害者の身内の女性を勝手に殺してしまったのだ。
 1997年といえば、まだオウム事件も人々の記憶に新しい頃である。国松長官狙撃事件で問題になっていた小杉が主導し、無実の女性を勝手に殺すという暴挙をしてしまった。
 この事と関係があるかどうかはわからないが、日本人の自殺率がこの頃から急増した。

 そして、この直後の1995年4月、Y運輸の社長が被害者であると思われる佐賀一丁目会社社長銃殺事件に発展していく。

 S川急便→麻原彰晃(創設者と同一人物者)
 Y運輸 →正田家(社長と同一人物者)

 という構図がある。

 S川急便疑惑とは

 竹下が総裁選に立候補していた1987年頃、皇民党という右翼団体が「大変金儲けのうまい竹下さん。竹下さんを総理大臣にしましょう」などと街宣活動をし(ほめ殺しと呼ばれた)、田中派から離脱して首相になった竹下を皮肉っていた。
 このことで、竹下は自分のコネを使ってほめ殺しを静めようとしたがうまく行かず、東京S川急便の渡辺会長を通じて稲川会の石井会長にほめ殺しを止めさせるよう依頼。
 これにより、竹下が田中邸を訪問したが、田中は門前払いをしたが、以後、ほめ殺しは終わった。
 この頃から、政治家とS川急便の癒着や便宜供与が行なわれたという。
 1992年頃からバブルの崩壊により、東京S川急便は巨額負債のため、東京S川急便は親会社のS川急便と吸収合併した。
 この頃から、政治家によるS川急便の便宜供与が発覚して疑惑事件が持ち上がった。
・数千億円の資金が闇社会に流れていた
・信託義務違反に問われた
・ヤミ献金と不正融資
自民党政治家への5億円の政治献金
社会党議員へのヤミ献金

などが明るみになった。
 そして、次の宮沢内閣が解散した。

 皇民党とは

 ここで出てくる皇民党という右翼団体は、普通の右翼団体ではないらしい。
 総理大臣などもおそれずほめ殺しをし、竹下から頼まれた議員が8億円持参して皇民党を尋ねたが一顧だにされず議員も強いことを言えずに帰ってきたというエピソードがある。
 皇民党の党首は、現在は上裕だが、事実上は石井久子という麻原のバックであると思われる。
 この人物は、天皇の支配人であり、天皇より地位が上と言われたT公士人事院元総裁と同一人物である。
 当時の皇民党の党首は、稲本虎翁という人物である。
 これまでは西日本を中心に活動していたようだが、関東にも進出してくるようになり、東京グループという20人程度のグループを作って活動するようになったという。
 この東京グループがオウム真理教の幹部らなのではないだろうか。
 皇民党の批判対象は、中国、北朝鮮(日本のこと?)、日本共産党日教組などであるという。

 皇民党の党首は竹下?

 皇民党の当時の党首は、竹下と同一人物なのではないだろうか。
 竹下内閣の時、消費税法案が可決されたが、この時、昭和天皇が生死の境をさまよっており、こんな時に消費税法案を通そうとするのは大胆不敵だからである。
 皇民党の妨害(?)があっても竹下は総裁に当選しており、皇民党事件が竹下の自作自演だとしたら、世論も竹下の味方につくと思っての計画だったことになる。
 竹下の写真を見ると上裕史浩の整形・変装だが、石井久子と上裕の実在人物と顔写真の二人三脚ぶりは、H本龍太郎やビン・ラディン師でも知られる。