村井秀夫刺殺
村井秀夫刺殺事件が1995年4月23日に起きた。Y運輸の会社社長銃撃事件の前日の4月24日に村井は死亡した。
村井秀夫は、正田英三郎と同一人物、という説がある。
村井は、ユダに殺された、と言い残している、と言われている。
ユダとはユダヤ人のことだろう。
正田氏はパレスチナ人だった可能性がある。だから、イスラエル勢力と対立していたのだ。
オウムはもともとモサドの諜報機関員の幹部が多いが、その中で村井は特異だったのだろう。
オウムの内部情報をマスコミに流していたからだ。
オウムは、他とは違う村井にもともといい感情は持っていなかったし、正田氏と同一人物だとすれば、村井は脅されてオウムに入ったということになる。
村井を刺殺した人物は、徐祐行という右翼団体の男であるという。
徐の写真を見ると、上裕か石井である。
村井と正田英三郎が同一人物だとすると、正田英三郎を刺し殺したのは、上裕か石井ということになる。そして、4月24日に死亡した後、千葉県の印旛沼か手賀沼に埋めたのだ。
村井が死亡した翌日、正田建次郎氏が銃撃され死亡した。
徐の右翼団体と皇民党とは別の団体だが、同じ右翼団体なので、メンバーが同じでも名前が違うだけ、ということも有り得る。
村井は平田信
刺殺された村井の写真を見てみると、刺殺された時の写真も載っており、この時の村井は、平田信と同一人物のようである。
刺殺されたそのものの村井は、平田信なので、正田英三郎ではない。
やはり、正田英三郎は、1995年3月20日~21日未明にかけてサリン入りの風呂に入り愛人により殺害された可能性がある。
正田英三郎と平田信は親子?
最近になり、平田信は正田英三郎の息子ではないか、という説が出ている。
顔が似ていることもあるが、平田信は三人の逃走犯の中で一番地位が低そうにも見える。
指名手配されたのは、平田信が正田英三郎(仮谷氏)の息子だったのに、犯行に加担していたためか、息子だったという理由で、他の二人との逃走犯とは別の理由で指名手配されたという可能性もある。
高橋克也は、仮谷清志の頭を殴った実行犯、菊池直子は正田英三郎の別宅の浴槽にサリンを混入した愛人、という線が濃厚だが、平田信は仮谷清志に何をしたかがよくわからない。
二人の逃走犯のうち、すだれに使われていたのが平田信なのではないだろうか。
早川紀代秀は、正田美智子と同一人物だが、平田信は早川と姉妹という関係ではないだろうか。
父親の仮谷清志(正田英三郎)が3月21日にサリン入りの風呂に入り殺害された一ヶ月後に息子(村井秀夫)が刺殺されそうになり(村井の刺殺は芝居)、翌々日には会社社長(正田建次郎)が銃撃された。