宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑰-7    松本サリン事件のつづき

 新聞紙

 オウムは、松本サリン事件を起こした後、サリンの入ったビンに新聞紙をまるめて入れて川に捨てたという。 
 新聞紙は、新聞記事を迫力のある記事に見せるために、印刷するインクに人の血液を混ぜて印刷するのだという。サリンには新聞紙が効果がある、とオウム内で言われていたようだ。
 オウムが同一人物者として逮捕された暴力団や犯罪人の記事が過去にたくさん書かれていたので、サリンには新聞紙が効果がある、ということなのかも知れないが、これをオウム信者が利用していたのは、オウムの認識がまだ甘かったためだろう。

 松本サリン事件の真実

 松本サリン事件とは、こういうストーリーなのではないだろか。

 事件当日、K野家には来客があった。近くに住んでいるK野義行の父母などの親戚(石井久子)がK野家に来ていたのだ。
 これから被害者になるであろう河野澄子が風呂に入っていたら、浴槽にサリンが混入されていたので、河野澄子はサリン中毒になり倒れた。
 しかし、浴槽にサリンを混入したのは誰かということになると困るので、その時、偽装工作をした。
 それが、庭にいたK野義行である。
 K野義行は、「庭で農薬を作ろうとして煙が出た」と河野澄子を病院に運んだ救急隊員に言っているという。
 この発言はあとでないものにされた。
 本当の被害者の河野澄子は、風呂場で倒れたので服を身につけていなかったが、運ばれた河野澄子は服を着ていた。
 運ばれた河野澄子は、石井久子が変装している来客だった人物で、本当はサリン中毒というまでにはなっていなかった。
 石井久子扮するニセの河野澄子が病院に運ばれた後、別の人が病院に運ばれてきた。これが本物の河野澄子である。
 ニセモノの河野澄子かその家族は「あーそっちが本物です」と、本物の河野澄子がサリン中毒で運ばれてきたことを黙っているように病院に伝えたか、意味をわからなくさせて「この人のことは何もしなくていい」などと伝え、その日のうちか数日後に死亡してしまった。
 しかし、生きていることにしなければ殺人罪で捕まってしまうので、ニセモノの河野澄子を本物だと言い、植物人間になったことにした。

 サリンを混入した人物は、来客だった人物ではないだろうか。
 河野澄子が風呂に入るだろうということを見越して浴槽にサリンを混入していたのだ。
 河野澄子は、風呂に入る直前に庭いじりをしていて、手に泥がついてしまった。その後、すぐに風呂に入ろうと思っていたのだ。
 風呂に入ると浴槽にサリンが混入されていたのですぐに気を失った。そのうち救急隊が来た。
 石井久子は、風呂場の脱衣場にあった河野澄子の洋服を着て、サリン中毒のフリをしたのだ。

 石井久子は、来客だったのか息子なのかだが、息子は息子でもいつもと感じの違う息子だったのだ。普段は上裕が息子をしているが、事件を起こすために石井久子が息子をしていたのかも知れない。
 上裕(普段の息子)は、もしかしたら、河野義行に扮し、運ばれた病院の医師を菊池直子がしていたのかも知れない。
 医師の衣服を着て河野澄子が来るのを今か今かと待っていたのだ。

 普段の家族構成

河野義行  菊池直子
河野澄子   ―
河野の息子 上裕史浩

事件当日の家族構成

河野義行  上裕史浩
河野澄子   ―
河野の息子 石井久子(松本知子)

 このようにすりかわっていたのだ。そして、事件後、元に戻れば、事件が明るみに出て起訴されても裁判で無罪になることもあるのだ。
 誰が何をしていたか事件当時の役割が裁判で重要になり、それを人と人がすりかわることにより、あやふやにし誤魔化そうとしたのだ。


 河野澄子が運ばれた病院はニセと本物で別々の病院だった

 河野澄子が運ばれた病院は、ニセの河野澄子と本物の河野澄子では別の病院だった可能性がある。


河野澄子が運ばれた病院は調べてみると
・松本協立病院
松本市民病院

である。二つの病院が河野澄子の病院先として出てくる。
 ニセモノと本物が別々の病院に運ばれていたとすれば、よけいわかりにくくなる。
 どちらかの病院に本物の河野澄子が運ばれて、人知れず遺体を医療廃棄物として遺棄した。
 本物の河野澄子が運ばれた病院には、医療廃棄物問題があったはすだ。
 松本市にエコトピアYという産業廃棄物埋立地があるが、このような廃棄物処理場に遺体は遺棄されたことになる。
 近くには梓川か女鳥羽川が流れており、サリン入りのビンを捨てたのはこの川かも知れない。
 
 
 河野澄子は仮谷清志の妹?

 河野澄子は、仮谷清志の妹と同一人物者であるとすると、オウムに5000万円布施していることになる。
 例えば夫が「会社で5000万円必要になった。何とかならないか」などと言い、河野澄子か親族が持っていた土地などを売却し金を用立てた。 
 夫に渡した金を布施ということにしたのだ。
 夫は麻原彰晃なので、その用立てた金を布施ということにしたのだ。
 
 庭にドライアイスで包んだサリン物体を投げ入れた
 
 松本サリン事件に関して、新たな情報がわかった。
 松本サリン事件に使ったサリンとは、ドライアイスだった、というものだ。
 事件後にマスコミに当てた怪文書の中にその文がある。
 
 松本サリン事件とは、こういうことではないだろうか。
 
 当時、オウムは長野県松本市で食品会社を経営したいと思って土地を取得しようとしていたが、この土地の地主が河野義行だった。さらに、河野義行の妻の澄子は、裁判の長官のような役職についていた皇后美智子だった。オウムが土地を取得するのが嫌だった地主は、裁判を起こして、その判決が7月19日に出る予定だったので、オウムは、サリン事件を6月に起こした。
 オウムの実行犯は、当日、河野宅の庭に、時間が経つとサリンが噴霧されるように作った、ドライアイスで包んだサリンを投げ入れた。ドライアイスの大きさにもよるが、何か庭で音がしたので河野澄子は庭の様子を見に行ったら、ちょうど、サリンが噴霧される時間にあたっていて、サリンを吸い込み中毒となった。
 河野澄子は、(松本市)裁判の長官をしていたので、部下も同じような被害に遭っていた。例えば、部下の裁判官がたくさん住んでいる裁判舎などの庭にドライアイスで包んだサリンを投げ入れ、噴霧される時間になった時にサリン中毒になったとか、もし、全員別の家に住んでいたとしたら、一軒一軒の家の庭にドライアイスで包んだサリンを投げ入れ、中毒になるように仕向けた。
 何故、ドライアイスで包んだサリンという物体が出てくるかというと、事件後、マスコミなどをあて先にした怪文書が届いていて、その怪文書の中に松本サリン事件で使用されたサリンは、ドライアイスの中にサリンを入れた時限爆弾だった、というような記述がある。
 これをそのまま事件の犯行時に使われたのではないか、とあてはめてみると、上記のような仮説が成り立つのだ。
 ドライアイスサリンの作り方は、ドライアイスに穴を開け、削った部分を取っておく。穴の中にサリンを入れ、削った部分で蓋をして、温度の低い場所に保管して接着するのを待つ、というものだ(仮説)。
 現場には、オウムの乗ったトラックが目撃されているようだが、これは冷凍車のようなものかも知れないが、クーラーボックスに入れておく、という方法もある。もし、ドライアイスサリンの数が多いようなら、冷凍車を使うかも知れない。
 河野宅にあった薬品だが、河野は食品会社を経営していて(ナガノT?)、その食品会社の清掃に使う薬品だったということかも知れない。食品会社の工場の機械は、劇薬を使う。
 サリンの入手先は、サリンがドイツで開発されていることから、ドイツ系の会社ではないだろうか。ドイツにGE社(シーメンス社)という軍需、医療、電気系の大企業があり、例えば、補聴器などを販売している店や病院で手に入れた、ということも考えられる。