宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 35-27    松山ホステス殺人事件(福田和子事件)のつづき

 福田和子の犯行動機

 福田和子がもともと中国人だとすると、このような犯行動機が考えられる。

 福田和子の福田派と、田中角栄派の被害者は、中国の政策に対しても違いを持っており、実は田中角栄の主導で行なう中国政策に強い不満を持っていた。
 アメリカのニクソン政権の時、米中関係の修復をしようとして米中連絡所が設立されたが、これは田中の流れと同じものであった。
 日本では田中角栄日中友好関係を築こうと思い政策を実行し、アメリカではニクソン政権も米中関係を修復しようと思って政策を実行していた。
 被害者は、田中角栄の孫の父親であり、アメリカの米中連絡所のメンバーだった。
 しかし、そんな人たちが自分をさしおいて勝手に中国との関係を築かれては後々困る、そう考えた福田和子は、田中角栄ロッキード社として献金をし疑惑事件を発生させ裁判にまで持ち込んでいた。そして、今度は裁判中に核になる人物である被害者を殺害し、田中がやろうと思っていた中国政策を潰した。
 一方、福田和子は、香港を返還して中国の人民を自分の側につかせようと考え、事件後にイギリス議会が香港の中国返還を決定したが、この裏には、イギリス王室の人物の殺害があった。


 福田和子と金

 福田和子は、首相として日本の税金の使い道を決めているが、その中でIMF基金をイギリスとして日本の国家予算から吸い上げ、その金を警察や官僚にばら撒き、自分帝国を作っている(A倍、K泉)。
 何故、イギリスの金かというと、エジンバラ家(フィリップ殿下やチャールズ皇太子の家)の人たちを福田家族が殺害しているからである。
 福田和子は、逮捕されてからもイギリス王室の人たちを殺害しており(堅川第一公園殺人事件)、逮捕されたからといってその殺人を止めているわけではない。

 福田和子と本所警察署

 福田和子は、逮捕された和歌山刑務所で死んだことになっているが、実際に和歌山刑務所に入っていたのは福田和子本人ではなく替え玉であり、死んだことにするために殺人事件も起こしている。
 都内の本所警察の管轄の墨田区横川で、T中啓子という女性が轢き殺される交通事故があり、T中の死を自分の死にすりかえて、福田和子死亡の発表をさせている。
 また、本所警察署の管轄の墨田区の堅川第一公園という公園で、平成16年(2005年)に、イギリスの文字のついたボストンバックからバラバラ遺体の胴体の一部が出てきた事件が発生しているが、この時の目撃者の証言から、バックを買った二人の男女が手配されていて、この男女が福田和子と福田隆志に似ている。
 この遺体の主が、福田和子事件の被害者の弟であり、イギリス王室のアンドリュー王子であると思われる。
 このように、福田和子は度々本所警察署管内で福田和子関連の事件を起こしているようだ。
 これは何故なのだろう。
 福田和子は、逮捕される前に本所警察署管内に住んでいたことがあり、警察からマークされていたことがある。本所警察はこれに気づかなかったが、別の管轄のM警察署が福田和子であることに気づいて、都合よく使っていたようだ。
 このことから、本所に住んでいた時にM警察署から都合よく使われていたので、墨田区本所警察署の管内を逮捕後に和歌山刑務所に見立てていたことが考えられる。
 だから、横川でT中が轢き殺された時に福田和子が和歌山刑務所で死んだことになったのではないだろうか。
 あるいは、こんなことも考えられる。
 T中が福田のトラックに轢かれて警察に運ばれたが、家族を呼んだ時に家族がどういうわけか「似ていない」と言ったために、引き取り手がいなくなり、「身寄りがいないなら自分の代わりに金を払うので和歌山刑務所に入所してくれないか」と言い、T中は和歌山刑務所に入った(T中は身内に捨てられたと思った)。しかし、ある時、福田和子本人が窮地に陥った時に福田の持病が発症し、それがそのまま福田の代わりに刑務所に入っていたT中啓子になすりつけられ、T中は福田の持病で死亡したか、看守か囚人同士の揉め事で殴られ殺されたのではないだろうか。
 今や、福田和子は警察官の金づると化している。

 交通事故で死んだのは、T中という女性の夫の信夫という人物である可能性もある。
 この人物は、当初、上裕(福田隆志)と同一人物であると思われていたが、上裕の父親であるという説もある。
 福田和子を獄中から出したのは看守に変装していた福田隆志だが、福田を脱獄させた看守の父親を交通事故に見せかけて殺害し、看守の父親の死を福田和子の死にしたのだ。 
 しかし、この説は、上裕の父親が死んだ割には、公開捜査にもなっておらず不自然だ。


 被害者はNHKの会長もしていた?

 福田和子事件で殺害されたイギリス人は、NHKの会長職に就いていた人物だ、という説が浮上した。