宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-324    9.11同時テロ事件のつづき

 1998年8月に、タンザニアケニアタリバンによる在米大使館の同時爆破テロが起きた。
 このテロで、アメリカはスーダンハルツームにある化学工場などを報復として攻撃したということだ。
 アメリカの極秘文書には、この事件の際、A倍晋三の名前が何度も登場しているという。
 A倍晋三とビン・ラディンが同一人物であることを示唆するものだ。
 アメリカはこの時、人道問題よりもテロに対する敵対体制を強めた、ということだが、このテロで250人あまりが死亡しているということだが、この時死亡した人たちの中に日本の重要な人物が含まれていて、そのことがまだ尾を引いているという説が出ている。
 ハルツームという言葉の中に、アルツハイマーという言葉が隠れているような感じもする。
 
 アルカイダは、ロッキード社の労組であると思われるが、このように外国のアメリカ大使館をテロ攻撃し、ロッキード社の思うとおりにアメリカ政府を動かそうとしているようだ。

 この頃の出来事をまとめてみると次のようになる。

 1998年

 6月27日 クリントン大統領、北京を訪問
 7月30日 小渕内閣発足
 8月7日  タンザニアケニアの在米大使館で同時爆破テロ
 8月17日 ロシアで財政危機が起こる
 8月20日 アメリカ政府がタリバンのテロの報復で、スーダンアフガニスタンのテロ関連施設をミサイル攻撃
 8月31日 北朝鮮が日本の三陸沖にテポドンを着弾
 9月   イギリスが地デジ放送を開始する
 10月27日 ドイツでシュレイダー政権が発足 

 この中で気になるのは、三陸沖にテポドンが着弾されたこと、イギリスで地デジ放送が開始されたことだ。
 3.11の巨大地震とも何か関係があるのではないかと思われるからだ。
  
 また、アメリカがスーダンのテロ関連施設を報復攻撃した後から、それまでビン・ラディンの消息を掴んでいた公安などが、急に消息がつかめなくなっている点も気になる。
 いったいこのテロ事件の後に何があったのだろう。
 例えば、北朝鮮テポドン三陸沖への着弾は、タリバンアメリカからの報復を日本になすりつけるものだったとすれば、この後、ビン・ラディン師の消息がわからなくなったのは、テポドン三陸沖への着弾のせい、ということも考えられる。
 この時、アメリカ政府は、日本の防衛省に、タリバンと敵対するような人たちをタリバンの仲間であるとみなすよう指示している。そして、この時から、ビン・ラディンの消息がわからなくなっている。
 アメリカのビン・ラディンと敵対する勢力への圧力が、ビン・ラディンの行動を自由にした可能性がある。

 タリバンの最高幹部は、オマル師であるが、この人物はブッシュでオバマと同一人物である。
 
 この時から、オマル師(演歌歌手M)は、日本をタリバンの隠れ蓑にさせようという思惑があったのではないだろうか。

 防衛省は、この頃、演歌歌手M(オマル師)が防衛省庁舎に直談判しにやって来てその主張を鵜呑みにしている。
 このことが、オマル師の命令を聞いてビン・ラディンを逃走させたことにつながっている可能性もある。

 また、1998年頃から、ロッキード社による日本の政界工作も始まっている。日本の政治家に対して、ロッキード社の幹部と思われる人物から献金を受ける議員が急増した。

 スーダンは、南北問題が1983年頃から勃発していて、大量虐殺が問題になっている。この大量虐殺をしていたのが、アメリカから報復を受けた化学工場と関係があったのだろう。しかし、この工場の経営者か所有者がオマル師だったために、オマル師は自分の所がやられないように防衛省をうまく騙してそれを日本になすりつけたのではないだろうか。
 タンザニアケニアの米大使館同時爆破事件で、A倍晋三の名前が登場している、ということもその要因になっているのだろう。
 また、スーダンには、中国の石油利権があるという。
 
 スーダンの隣の隣に、ルワンダという国があり、ルワンダという名前の米軍兵が日本で凶悪事件を起こしている、という説がある。
 これを調べていた日本の国際事件の担当警察官が8月に殺害される事件が日本で起きている。
 ルワンダでは、やはりジェノサイドと言われる大量虐殺事件が勃発しており、この影響が日本に出てきている可能性がある。
 
 ケニアタンザニアのテロと報復のいきさつから、タリバンは、テロ活動だけでなく、大量殺人にも関係していることがわかる。
 ビン・ラディンはカッコいい、などと言っている人をたまに見かけるが、これはとんでもないことである。