1957年に日本で核実験が行なわれていた?
1957年5月に、ソ連の大使から、外務省に「岸総理に核実験の中止に関する覚書」が渡されたという。
核実験の中止を岸総理に、とはいったい何のことだろう。
日本で核実験を行なっていたということなのだろうか。
その後の1958年頃にわたってソ連は再三にわたり日本の核武装に対する抗議を行なっている(資料は、外務省が出している北方領土に関する小冊子)。
最近になり、日本への核の持込が国会で暴露され、自民党が民主党から激しい攻撃を受けていたと伝えられた。
その頃(1957年頃)、伊豆諸島の神津島や新島で、M6.0の地震が発生していた。この地震は1936年から何回か起こっていたようだ。
この地震に便乗して核実験を行い、その形跡がわからないようにしたのだろうか。
日本で核実験が行なわれていたとすれば、非核三原則に違反し、日本も核保有国として扱われ、世界にウソをついていたことになる。
日本は防衛しかしないので優しく対応しよう、としていた外国は騙されていたことに気づき、いつ手のひらを返して来るかわからない。いや、すでに手のひらは返されているのかも知れない。
日本で核実験が行なわれていたとすれば、巨大地震の原因も核実験と称した核爆発である可能性がある。
北朝鮮が最近、度々日本にミサイルを向けているが(韓国と言っているが韓国ではなくて日本ではないだろうか)、これは、横須賀など日本の港に原子力艦船が入港しているので、日本にミサイルを向けてもいいだろう、ということで行なっている。
横須賀に核が持ち込まれ、北朝鮮がそれに向けてミサイルを向ける。核と核のにらみ合いが起こる。そこで、日本の海底に異変が起きて巨大地震が起きる、ということも考えられる。
3月11日の福島県沖には、探査船「ちきゅう号」がいた。ちきゅう号は原子力戦艦に形が似ている。ちきゅう号に核が搭載されているかどうかわからないが、遠目からすれば、原子力戦艦に見えたとしても仕方ない。これに北朝鮮がミサイルを向けていたとなれば、ちきゅう号が核を搭載していれば、核と核のにらみ合いで、周辺の海域に異変が起きたとしても不思議ではないのではない。
あるいは、核と核がにらみ合いをする国なので、周辺の沖の海底に核爆弾や地雷が埋められていた、としても文句が言えないし、不思議ではないのだ。米軍なら、口実がいくらでも作れるのだ(テロがいるとか、テロ組織が潜伏しているなど)。
自民党は、こういうことを知っていてこれまで黙っていたのだろうか。
3.11の巨大地震の時、政権は民主党だった。地震が起きても自民党は対応にさほど追われる身分ではないし、外野だったのだ。
長く政権が続いていた自民党と米軍が裏でつながり、民主党政権を打倒するために、故意に巨大地震を起こさせ、政権を揺るがそうと思っていた、ということも考えられる。
また、自民党は、金儲け(原発所建設?)と引き換えに、核実験を容認するようアメリカと裏取引をしていた可能性もある。
日本の原発所の建設は、米軍の核実験を隠すためのものではないのだろうか。
原発所で核物質を使用するので、核の持ち込みは暗黙の了解ということになるし、放射能が検出されたとしても、原発所のせいに出来る。
米軍の核実験を国民に黙っている代わりに、選挙で支援が米軍から受けられ、多額の金が手に入ったのだ。
核実験の場所
日本では、これまでに何度の核実験が日本の沖で行なわれていたのだろうか。
核実験が行なわれていた場所はわかっていない。しかし、覚書が外務省に渡された直後、ソ連は、ピョートル大帝湾の内海化を宣言しており、何か関係がある可能性がある。
ピョートル大帝湾とは、ウラジオストックに面した海で、日本海の新潟県と秋田県沖の北西部に位置する。
また、ピョートル大帝湾は、朝鮮半島(北朝鮮)にも面している。
日本海で核実験が行なわれていたので、ソ連はそれに反応した、ということも考えられる。
1960年代に、秋田県や新潟県沖で、放射能検査をした際に高い数値が出た、と放射能の研究者が答弁していた記録があり、この数値は東京や太平洋側よりも高かったと言っている。
核実験の実験場だったのか
1945年8月に投下された原爆も、アメリカにとってみれば、核実験である。広島に投下された原爆は、リトルボーイという名前がついている核実験だった。
日本では、たまに原発所の事故が起きるが、これだって核実験かも知れない。
3.11のあたりに、アメリカの大統領が、2010年10月と12月に小笠原で核実験を行なったらしい発表をしていた。小笠原といえば、東京湾や相模湾を経て小笠原に行く。
日本人にはわからないように、核実験をしているのかも知れない。