国定忠治と江戸の町
国定忠治は、実は江戸の町と関係もある。
保守王国・群馬の超有名人、国定忠治は、安政の大獄の時に日本橋の小伝馬町にあった牢屋敷に投獄されていた。しかし、自民党議員は、国定忠治の出身地の群馬県を保守王国としており、処刑されたというのはウソだろう。処刑されずに逃がされていたが、処刑されたことにして暗躍させたのだ。
日本橋は、東京の経済の発祥地(三井、日経の江戸での発祥地)で、それは徳川幕府が作らせた。
江戸の町を作る際に、三河国(愛知県東部、静岡県西部も含まれる?)から職人を呼び寄せて住まわせたのが神田だが、国定は、三河国のあたりでも知られた存在だったようだ。
徳川幕府は、国定のパトロン的存在であった可能性もあり、徳川幕府が作った江戸は、国定にとっても居心地のいいものだったのかも知れない。
安政の大獄で牢屋敷に入れられた人たちは、実は、やくざ者の他に、徳川幕府の経済に反対しそうな勢力の人たちで、国定の場合は、表向きの投獄だったのかも知れない。
徳川家康は、実は、越後屋と同一人物であり、越後屋は今でいう暴力団だ。
だから、国定を殺してみても得にはならないので、多くのやくざ者は安政の大獄の大義名分として投獄され、後から逃され暗躍していたのかも知れないのだ。
そして、本当に殺されたのが、何の罪もない町人たちで、これらの人々は、徳川経済の見せしめとして処刑されたのではないだろうか。
安政時代に地震や火山噴火が多いのは、実は何の罪もない人々を大量に殺していたからで、現在と似たような状況だったのではないだろうか。
武蔵国とは、現在の群馬県・栃木県~相模・駿河までの東海道のことをいう。
群馬の辺りは国定忠治の縄張りで、江戸や駿河が徳川幕府の陣地だった、という区分だろうか。
ギャンブルが盛んだった群馬以外に、江戸にもギャンブル場があり、それは深川と呼ばれている。
深川にも国定は出入りしていたと考えられる。
深川と国定のつながりは、おそらく現在では警察署だろう。
女装した男
国定は何故か、女装しているといいことがある人物だ。
国定と同一人物者に、イエス・キリストの母だというマリアがいるが、この人物の偶像人物は、国定忠治である。
また、国定は、邪馬台国の卑弥呼と同一人物だが、卑弥呼の前の時代に、男が政権を執っていたが、男だと喧嘩ばかりになり殺し合いが絶えない、として、女を最高権力者にしようという話になったのだが、政権を執りたい男の卑弥呼が女装することにより、邪馬台国の政権を執った。
この二つの話から、国定忠治は、女装することにより権力が持続できる。だから、男の姿をするより、女の姿をしている頻度の方が多く、それを見て多くの人は、女である、と勘違いもするのだ。
武蔵国
武蔵国は、7世紀頃に、ヤマト王権(邪馬台国の後身→大和朝廷)が総国(奈良県)からこの地域に進出して勢力下にした地域で、それが今の群馬~駿河(三河国も入るのではないだろうか)までの間だったようだ。
だから、武蔵国の主は国定忠治と同一人物者の卑弥呼だが、この人物が邪馬台国の権力を執ったいきさつがインチキだ。
群馬県と車
群馬県は、遊技機製造の拠点である他、車の一世帯あたりの所有台数が日本で1位なのだという。
群馬という地名は、馬が群れる、というところからきているという。
移動が好きな県民性だったのだろうか。
かかあ天下とか、女性の社会進出率が高い、といわれているようだが、卑弥呼が王権を握ったいきさつがインチキであることから、女装した男を女性とみなしている可能性もある。
「かかあ天下」といっているのは、最終的に女にいろいろなことを押し付けて世間から嫌われそうな肝っ玉母さんのせいにしよう、という嫌がらせ根性からかも知れない。
国定も保守も、女性の社会進出などされては実は迷惑だ、と考える思想家であるので、実際に群馬県で「かかあ天下」行為が行なわれているかは疑問である。
群馬は、その他に軍需産業の拠点となっていたようだ。中島飛行場というのがそれではないかと思われる。
中島飛行場は、終戦後、二度と軍需産業に進出できないようにということで、12社に分解された。この12社の中には、自動車製造会社もあるようだ(F士重工)。
中島飛行場が、国定忠治(昭和天皇と同一人物)の経営する企業だったのではないだろうか。
群馬県出身の総理大臣
群馬県出身の総理大臣は、次の4人である。
福田赳夫→仮谷清志
中曽根康弘→菊池直子
小渕恵三→菊池直子
福田康夫→菊池直子
である。
このように、総理大臣自体は、菊池直子(妓郷蟻析此砲多いようだ。
しかし、院政を敷いているのが、国定忠治なのだろう。
日本は、実は国定忠治(麻原彰晃・テロリスト)をシビリアンコントロールとした危ない国だったのだ。