宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 37-87    八王子大和田スーパー殺人事件のつづき

 顕正会とは

 エシュロンの大量殺人を実行していたのは、暴力団弘道会と、顕正会(同一組織?)というS価学会と同じ日蓮正宗を信仰する宗教団体だ。
 顕正会は、1996年に宗教法人に認可されている。
 顕正会は、富士大石寺の問題でⅠ田大作と対立していた宗教団体である。

 顕正会系企業の文京区にあったS社という医療器械の備品を代理販売する会社が、「俺たちが全ての経済情報を知っている」などと吹聴し、「日清の様子がおかしい」と電話をかけてくる企業家たちを宮城県に呼び出し、騙して後ろから銃殺した殺人がある。
 この殺人で殺害された企業家たちが、エシュロン施設の大きな丸い玉かゾウの檻の近くに埋められているのだろうが、顕正会系企業のS社という会社が、カメラを販売する企業の代理店であるので、カメラやレンズの発展のために、殺害した人たちの目をくり抜くなどして多くの人々の「目をやっていた」可能性がある。
 このS社という会社は、「頭脳削除」などと称して、悪口を言う人たちを脅かして、気に入らなけば殺したり、頭脳削除をしたりして言いなりにさせようとしていたことが文京区内で知られていて、1990年代後半~2000年代前半にかけて、「悪名高いS社」などと地元の人に思われていた。
 この頭脳削除というのが、多くの人々の「目をやっていた」ことと関係があるのではないだろうか。
 カメラ企業N社(S社はN社の代理店)は、日経新聞社に広告を出す際に、日経広告社という広告代理店を使っていて、カメラ企業のCI(コーポレート・アイデンティティと呼ばれる広告の表面上の企業戦略)や企業の利益のために、S社と一緒になって殺害した人の目をくり抜くなどする殺人虐殺行為を行なっていた従業員がいたか、あるいは、S社と共通の従業員がいたと考えられる。

 顕正会は、「日清」について「何か様子がおかしい」と言ってくる企業家を騙して殺しているが、顕正会の会長は、Ⅰ田大作と対立しており、Ⅰ田大作は、皇后美智子で日清の会長の娘だ(大きな枠では全員グルだが、内部対立がある)。
 だから、日清をダシにして、企業家の大量殺人を行い、残虐殺人を行なっていたが、実は、Ⅰ田大作は敵対する人物なので、最終的には、自分たちの得になるようなやり方をしていたのではないだろうか。
 顕正会の会長は、天皇の父親と同一人物で、平田信で、天皇の同級生として知られるH本明と同姓同名だ。
 Sで大量殺人の中心になっていた人物は、社長の息子と呼ばれる顕正会の会長と同一人物者である。
 つまり、日清をダシにして、天皇に逆らうだろうと予測される人々を残虐に殺害しエシュロンに利用していたのが、顕正会とその企業のSと関連会社だったということになる。
 顕正会が創設されたのは、昭和33年で、宗教法人に認可された年は、S社が勢いをつけて大量殺人を行なっていたまさにその時期である。
 顕正会宮城県の会館は、仙台市太白区にあり、企業家を呼び出したのは、この会館のことかも知れない。
 
 天皇を神とする
 
 顕正会の教義は、天皇を神とする宗教で、ご本尊の建立が狙い(素晴らしい人物を殺して天皇の身代わりにするという意味だろう)、原理主義で原典に解釈を加えることを禁止しているという。
 強引な勧誘で、逮捕歴は多数。
 広宣流布の水準として、「日本国民全員が入信し、国会と議決と天皇の国事行為により、憲法が改正され、国立戒壇が建立された時」としている。
 憲法改正、というのは気になる。
 今の自民党政権で、衆議院で可決されたばかりだからだ。
 首相が顕正会の会員か幹部なのだろうか。
 
 顕正会の政治活動
 
 顕正会の創設者のA井という人物は、民主党のH山由紀夫と同一人物である。同時に、自民党のM喜郎と同一人物であり、民主党自民党の首相経験者ということになる。
 エシュロンの被害者に民主党がいるかどうかはよくわからないが、もしいるとすれば、民主党より自民党の方を取ったということにもなる。そして、民主党が政権の座から降りた時に、N田の気にいらない人たちを殺していた可能性もなきにしもあらずだ。
 A倍晋三と同一人物者(N田とも同一人物)の女は、S社で働いていた時に、創設者のA井で社長の息子に顕正会の勧誘活動をしていた。
 創設者は、勧誘で折伏されたフリをして、宗教活動を強化していたと考えられる。
 たった2~3年の間に、500人以上を殺害し、人体実験に利用したり、残虐死させたり、遺体をエシュロン施設に埋めたりもしていたようだ。
 
 弟のH山邦夫は、菊池直子に似ているが、仮谷清志と同一人物である。
 仮谷清志は、Ⅰ田大作と同一人物だ。
 一つの家に、二つの対立する宗教団体(S価学会と顕正会)のトップがいた、ということになり、大枠では仲間だが、多少の内部対立がある、といったところだろう