宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-489    9.11同時テロ事件のつづき

 
 ビン・ラデイン師は女
 
 ビン・ラデイン師の正体は、女だ。
 ブッシュと同一人物者の女が便ビン・ラデイン師である。
 ブッシュは、平田信、演歌歌手M川清、K村拓哉、ンドランゲタの会長と同一人物である。
 ビン・ラディン師は、同性に対する妬みの感情が異常で、自分より秀でる女が世の中にいると、自分の特権がなくなる、と考え、女を弾圧し、社会的成功の機会をつぶそうと考えている。
 このビン・ラディン師の思想に賛同しているのが、ビン・ラディン師との間に子供がいる男たちで、ビン・ラデインが嫌いな女を、愛人の男が複数で追い掛け回し、妨害し、殺害したり脅迫したりして、社会的活動の機会を奪う。
 これが国の体制となっているのがイランである。
 ビン・ラディン師は、マフィアの会長などにも就任し、金持ちであるので、自分の嫌いな女を弾圧した報酬に、自分の男たちに金も与えているようだ。
 他にも宗教の教祖をしており、この宗教に入っていれば、女も弾圧されずにすむ、というような仕組みになっているのかも知れない。
 
 愛人たちとのアブノーマルな関係
 
 ビン・ラディン師の最大の愛人に、ラムジ・ユセフがいる。
 ラムジ・ユセフは、ビン・ラディン師と同一人物の演歌歌手Mの妻をしている女(本当の性別は男)だが、あまりにもビン・ラディン師に恩を売られすぎて、外見上、男としてよりも女に変装している方がしっくりくるようにすでになっているという。
 そのようになっている男に対して、興味を持ち、支配したいと思っている男がムハンマド・アーテフで、ビン・ラディン師と同様に、恩を売り続け、男の好みの女性像に近い男を作り、本当は男同士なのに、彼氏と彼女として振る舞い、「なんてお似合いのカップル」と言われることに快感を覚えているようだ。
 
 ロスチャイルド家とロックフェラー家の違い
 
 ロスチャイルド家とロックフェラー家は、同じ家であるが、男女で家の名前が違う。
ロスチャイルド家は母親と娘、ロックフェラーは父親と息子という風にだ。母親と娘側の方には、わざと、ロスチャイルドいらない子供)という家の名前をつけている。
 男尊女卑思想の権化のようなもので、発祥は、インド近くのパキスタンであると思われる。
 今のロスチャイルド家の当主の父親(お父さんという言葉を使っている)は、A倍晋三である。ロックフェラーの当主は、上祐史浩(K義偉長官)に見えるが、お父さんのA倍かも知れない。実権を実際に握っているのは、やはりA倍だろう。
 ロスチャイルド家の子は、親が役に立たない、と判断された子供は、親からいじめられ、虐げられ、自身を失わされ、親は早く死んでくれないかな、などと思っている。
 ひとたび、そのように判断されると、ロックフェラー家も手伝って、子供を陥れることに専念し、その残酷な状態をパワーにして、戦争を企てる。
 その合図は、1997年に発令された。
 ロスチャイルド家の影の当主のA倍晋三と同一人物のH本龍太郎によってだ。
 1997年7月、突如としてH本はロスチャイルド家、ロックフェラー家に対して「いらない子供を殺しなさい」と命令。その時から、全国で両家の親の子いびりが始まったのだ。
 それと同時に、日本では少子高齢化対策が事実上実施され、子供が親に逆らえないよう、体制の強化がされた。
 「いらない子供を殺しなさい」、この命令は、日本国内でH本龍太郎が発したものだが、世界にも大きな影響が出ているようだ。アメリカでは、クリントンが大統領だったが、H本は、愛人で不倫相手のモニカであり、イニシアチブはモニカが握っていた。
 モニカの顔は、福田和子に酷似しているが、福田和子とは、1997年7月に逮捕された松山ホステス殺人事件の犯人で、時効寸前に逮捕されている。
 H本龍太郎が命令を出したのは、この直前だ。
 福田和子は、愛媛県松山市で、ホステスを殺害したことになっているが、この時の被害者が問題だ。
 チャールズ皇太子と同一人物者である可能性がある。クリントンは、チャールズ皇太子と同一人物者だが、殺害してなりすまし、「お前がチャールズに扮しているだろう」と、モニカはそのことを脅迫していたのかも知れない。
 それと同時に、今度は、イギリスのダイアナ元妃が事故死した。しかし、ダイアナは、モニカと同一人物者であり、チャールズ皇太子を殺害していた人物が、ニセの事故死をしたということで、イギリス王室は混乱した。「チャールズがいなくなった」。
 同時に、香港が中国に返還された。
 2年前には、中国の歌手・テレサ・テンが死亡したが、テレサ・テンは、H本龍太郎と同一人物で、2年前から計画を練っていたのか、中国人からの人気がなくなってしまったことを取り戻ろうとして<97年を勝負の年にしたのだろうか。